イラスト:丹下京子
夫の死後、転居しなければならないことはわかっていたし、異存もなかった。けれど、息子たちに養子縁組の取り消しを言い出されるなど、予期せぬことも起こって……70代半ばになって朝倉さん(仮名)に訪れた大きな変化とは(「私たちのノンフィクション」より/イラスト=丹下京子)

大変優れた遺言書に従っただけ

2019年2月半ばに婚家を出た。前年の晩秋に、連れ合いを見送ったばかりである。ことのほか早い転居を訝(いぶか)しんで、周囲の人たちはあれこれ臆測したらしい。向かいの家の民生委員をしている奥さんなどは、いくら私が「楽隠居をさせてもらうのよ」と言っても、「誰もそんな話、信じないよ」と即座に遮って、何かワケがあるのだろうという目つきをした。

けれど私にすれば、取り立てて騒ぐほどのことではなかった。別に誰かに追い出されたわけでもなければ、後足で砂をかけて飛び出したわけでもない。遺言書に従っただけの話である。

連れ合いは、大変優れた遺言書を残していた。それを書いている時、私は傍らにいて、何かと相談を受けていた。連れ合い亡きあとに私が転居することになるのは、その時点で重々承知していたのである。

私は当時、家庭裁判所で家事調停委員として働いており、遺産分割案件にも関わっていたため、相続について多少の知識は持ち合わせていた。おそらく、そのあたりの事情をわきまえたうえでの相談だったのだろう。

遺産相続などというのは、人生のうちでそうたびたび経験するものではない。遭遇して初めてその煩雑さに悩まされることになるのだが、幸いにも明快な法律がある。「相続は血とともに流れる」のであり、「すべての財産はその名義人に帰属する」のだ。間違った解釈さえしなければ、財産はしかるべき人の手に納まり、遺産相続はつつがなく終わる。

私の連れ合いは、住居の相続を長男に指定した。もとより、異存はなかった。先祖代々守られてきた土地は、血とともに流れるのである。もちろん、長年連れ添った妻よりも「血」を選ぶのか、という思いもなくはなかったが、大きなしこりにはならなかった。ともに暮らした三十数年の間、土地を守ることの過酷さを身に沁みて感じていたからである。

土地には、「地霊」のようなものが棲みついている、と時々思う。「地霊」は、あまり笑わず、はしゃがず、陰鬱で、一見怖い風貌だが、実はそれは見せかけ。その風貌の裏でじっと観察を怠らず、コツコツ地道に努力を続ける人物を正確に見極めて懐に抱き寄せ、伝来の土地を託すのではないだろうか。いってみれば、それはその家の、代々の先祖の凝縮された姿なのだと思う。

98歳で天寿をまっとうした姑は、町内では厳しい三婆の一人に挙げられて敬遠されていたが、実に働き者で、終生家を守り抜く姿勢を崩さなかった。家を守り抜くとは、つまり家を容易に他人に明け渡さないということである。そして、守り抜いた家の縁側で、ある朝、静かに逝った。おそらく、その生き方は「地霊」に祝福されたのだろう。

連れ合いの残した遺言書に異存はないと言いながら、こうして「地霊」まで出現させて自らの思いを綴らなければ気持ちが収まらないのだから、私も本心から納得してはいなかったというのが、正直なところかもしれない。

相続は争いなく終了した。連れ合いと2人で建てた賃貸マンションで、私たちは管理人をしながら、その一室に住んでいた。その部屋には、遺言書通りに長男が家族を連れて移り住むことになっている。