
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!
響の繋留地から少し離れた埠頭には、老若(ろうにゃく)の男子が居並んでいる。いっとう年配に見える初老の男が、浦賀を見るなり人懐こい笑みを浮かべた。
「こりゃまた、ずいぶんワァケショ(若い人)で。おめが隊長さんかい」
面食らった浦賀は、軍人らしい気負いより年配者への敬意が先に立った。
「浦賀少尉です。このたび、第二一三掃海隊の指揮官を拝命しました。配属されたみなさまにおかれては、まことにご苦労さまです」
「せっかくお国にご奉公できるってのに、そんげ言われようでは気分が出ねえ。軍人さんらしく号令してくんない」
ほかの男たちも、口々に賛同し、何度もうなずく。
気遣いはありがたいが、と思いながら浦賀は目を転じる。
埠頭には二隻の船が横付けされている。どちらも見るからに老いた漁船で、じっさい半月ほど前までは漁船であったという。いまは海軍に徴用されて機銃一丁と掃海具、一・五メートル測距儀を無理やり搭載している。両船とも焼玉エンジンを積み、木造で、船齢は二十年を超えている。
徴用漁船「由良(ゆら)丸」と「第四天祐(てんゆう)丸」、漁船の徴用といっしょに軍属となった漁師とその家族、計十二人。以上が第二一三掃海隊の戦力だった。
浦賀はゴホンと咳払いする。
「では、以後よろしく頼む。当隊は今日より五日間を訓練にあて、その翌日より掃海に携わる。操船に関して諸君の技量を疑ってはいないが、二隻一組の行動も、掃海具の扱いも初めてと思う。編成されたばかりの当隊は、ただ諸君の努力によって戦力化される。奮闘に期待する」
偉そうに言うと、「おうさ」「任してくんない」とのんびりした声が返ってくる。
大丈夫であろうか、という浦賀の不安は、いい意味で裏切られた。
指揮艇となった由良丸を先に立てた二隻は、すでに稼働している掃海隊が苦心して開いた幅十メートル足らずの細い航路をするりと抜ける。訓練海域に到着すると、二隻は吸い付くように横付けする。由良丸は曳航索の一端を第四天祐丸に渡し、さっさと離れてゆく。両船から立つポンポンという焼玉エンジンの暢気(のんき)な音が不釣り合いなほど、動きに無駄がなかった。
「船どうしの距離は一〇〇メートルっつったかな。ずれちゃ駄目だろうから、少尉さんが測ってくんない」
浦賀を「若い人」と呼んだ由良丸の船長が操舵室から声を張る。甲板にいた浦賀は慌てて据え付けの測距儀を覗く。
「ようそろ、ようそろ」
浦賀は船長に告げながら、離れてゆく第四天祐丸との距離を慎重に測る。
「ちょい取舵、――いま一〇〇メートル、舵戻せ」
そこで顔を上げた浦賀は、第四天祐丸に手を振る。二隻はぴたりと舳先を定め、距離を保ってゆっくり進む。
第二一三掃海隊に配備された掃海具は、「三式二型掃海具」と呼ばれている。計三六本の磁石が結わえつけられた曳航索を、一〇〇メートルの距離を取った二隻で曳き、海底の磁気機雷を起爆させる。掃海可能な幅は五〇メートル、速力は早すぎると機雷が感応しないから、二ノットから六ノットと定められている。
浦賀は操舵室に回り込んで計器を見つめる。速力計は、浦賀が決めた三ノットを維持している。第四天祐丸も、見る限りは同じ速度を保っている。船足は風や海流によって意図せず変わってしまうはずだから、驚異的とも言えた。
「左回りに反転する」
浦賀の声に船長は「あいよう」とのんびり応じる。由良丸はぐんぐん増速し、波を割りながら左に舳先を巡らせる。左舷側を走る第四天祐丸も、速度を保ったまま由良丸に合わせて回頭し、二隻はみごとに反転した。
漁船とはいえ船である。漁師はもちろん船乗りでもある。これほど熟練の者たちと二隻の船を、指揮している。海軍軍人にとって本懐と言える。浦賀は誇らしさを感じた。
ただし、誇らしさに浸っている暇はなかった。浦賀とて掃海隊の指揮に慣れねばならない。コンパスで隊の位置を測定し、ときに測距儀を使いながら船長に指示して二隻間の距離を保つ。また測距儀の背後、操舵室の前にこしらえてある小さな台に取りつき、海図に線を引き、掃海済みの海面を記してゆく。
掃海具を引きずりながらの直進と反転を二時間ほど繰り返し、浦賀は掃海訓練の終了を命じた。二隻は手慣れた動きで横付けとなり、掃海具を収容する。
「おれたち二隻は、長えこと一緒に網を曳いてたしね」
なぜ掃海具の扱いまでスムーズなのか、という浦賀の問いに、由良丸の船長はこともなげに答えた。ただし機銃の取り扱いは誰もがてんやわんやだった。誰かが上ずった笑い声を上げながら必要以上に連射し、浦賀が叱ると「すいません」としょげかえった。
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あまりに短い訓練期間の五日があっというまに経ち、第二一三掃海隊は初の掃海に出る。浦賀はまず警備隊司令部に出向き、機雷の位置が書き込まれた掃海予定海域の海図を受け取った。
「ほう」
と珍しげな声を上げたのは、まだ東京に帰っていなかった松原少佐だった。
「貴様、いい顔になったな。俺が講義してやった時は寝ぼけた目をしていたが」
浦賀は、思わず自分の頬を撫でた。
艦隊特攻から外されて以来の虚無感は、いつの間にか忘れていた。不慣れな掃海訓練はそれほど忙しかった。自分は何のために生きているのか、という青臭くも重苦しい自問は、どうでもいいと思えるようになった。
それはそれとして、松原とは馴れ馴れしい物言いをされるほど親しくない。浦賀は「どうも」とだけ応じ、司令部を出た。階段を数段降りてからふと振り返ると、やはり松原がいた。
「今日の出動、同行してよいか。俺も現地部隊の様子を東京で報告せねばならんのでな」
浦賀はどうも松原が好きになれなかったが、上官に文句は付けられない。断る理由も思いつかない。うなずくしかなかった。
これまでの訓練通り、第二一三掃海隊はさっさと港を出た。二隻は無駄のない航行で予定海域に到達し、てきぱきと掃海具を展開し、掃海に入る。
「にしても」
測距儀から顔を上げ、ふと浦賀はつぶやく。
いま走っている航路は、別の掃海隊がすでに五度、磁気掃海を行っている。同じ海域を何度も舐めまわすのは、さすがに気が滅入る。
「なんだ、貴様。もう疲れたか」
傍らに立つ松原が、からかうように言ってきた。
「いえ。少佐より若いですから」
「ここしばらくは陸に上がっていた俺だが、水上勤務は貴様より長いのだぞ。あとで説教してやる」
由良丸に乗ってからずっと、松原は無駄口を叩いてくる。掃海は五日の訓練だけ、指揮官職も同日数しか経験していない浦賀は気持ちに寸分の余裕もないから、松原が邪魔で仕方がなかった。ああだこうだ、といなしているうちに、松原への口の利き方がすっかりぞんざいになってしまった。
「貴様、自分の指揮する船が漁船だと知って気落ちはしなかったか」
などと訊いてくる松原のすぐ背後は操舵室で、船長が舵輪を握っている。この男はどういう神経をしているのか、と浦賀は眉をひそめた。
「思いませんでしたし、いまは隊員の練度を頼もしく思っています」
答えの前半は嘘で、後半は偽りない本音だ。
「ならいいが、同じく徴用漁船が配備された他の隊では、すねる指揮官もいると聞く。だから一応言っておくが、このような船は」
松原は遠くの第四天祐丸を見据えながら左舷まで歩み、由良丸の舷墻にぽんと手を載せた。
「掃海にうってつけなのだ。小型ゆえに波が立たず、水圧機雷には検知されにくい。木造だから、磁気機雷にやられる心配もない。ささやかな機関音は音響機雷のたいていもすり抜ける。小回りが利き、速度の調節も容易。あらゆる特徴が、小さな木造漁船をして最良の掃海艇たらしめている」
左舷の縁に立つ松原は、つまり操舵室の船長から離れている。浦賀は小走りで行き、松原に顔を寄せて声を潜めた。
「老いた漁師たちを機雷だらけの海に引っ張り出して、何が最良なのですか」
浦賀は口を引き結んだ。そうしなければ、東京の海軍省や軍令部は何を考えているのか、などと言ってしまいそうだった。
思った通りだ、と松原は笑った。
「やはり、貴様は面白い。ところで、そろそろ反転すべきではないか」
浦賀はあわてて陸地を見渡し、コンパスで位置を確かめる。
「船長、左へ反転」
浦賀は声を上げ、第四天祐丸にも手を振る。由良丸はするすると増速し、回頭する。その間に浦賀は海図に取りつき、これまで掃海した幅五十メートル、長さ四キロメートルの海域を定規と鉛筆で囲った。
「前は航海士だったそうだな。海図はお手のものか」
いつの間にか近づいていた松原が手元を覗き込んでくる。さすがにうっとうしい。
「新潟には正規の掃海艇も多く稼働しています。ご視察なら、そちらがよかったのでは」
帰ってくれ、と言いたいつもりで浦賀は訊いた。ただし正規といっても、やはり漁船型の木造船である。
「正確に言えば、俺が見たかったのは貴様だ。面白いやつだと思っていたからな。どんな船乗りなのか確かめてやりたかった」
「で、どうでした」
いやいや松原の話に付き合いながら、浦賀は体をひねってまた測距儀を覗く。
「経験が浅いことは否めないが、航海士としてはまあ優秀だ。貴様が操る艦で魚雷をぶっ放してみたかった、と思うのは俺が水雷屋だからかな」
「お褒めにあずかり、光栄です。で、なぜ私に興味を持たれたのですか。船長、ちょい取舵――、舵戻せ」
「あいよう、あいよう」
船長がのんびりと応じ、反転を終えたばかりの由良丸は第四天祐丸とぴったり一〇〇メートルの距離を取った。
「国際法、と貴様は言っていたろう」
浦賀が顔を上げたところで、松原は言った。
「戦争には必須であるはずなのに、戦争をやっている誰もが忘れてしまう言葉だ。久しぶりに聞いた」
「兵学校を出たてのひよっこである、と私をからかっているのですか」
「その若さを忘れないでほしい、と言っているのだ」
松原は妙な物言いをした。
「東京では、毒ガスやら細菌兵器やらの使用を検討するときくらいしか、国際法を持ち出すやつはいない。前線なら捕虜の酷使(こくし)や処分、もっとひどい行為が日常茶飯事だ。戦争は、人間をどんどん壊してしまう」
「私が聞いてよい話なのですか」
「貴様くらいにしか話せる相手がおらん。東京は建物こそ空襲ですっかりやられてしまったが、上官どもの耳は健在だからな」
我々はいろいろと間違えたのだ、と松原は続ける。
「帝国海軍は、機雷戦に対しては全くの後手(ごて)だった。海を封鎖され、徴用漁船で追いつかぬ掃海を繰り返すしかないのだからな。過ちはもう繰り返せん。そろそろ戦争が終わった後のことを考えねばならん」
浦賀は話し相手を凝視した。拡大する戦争とともに背が伸び、戦死か戦病死が決まっていた世代のひとりとして、戦争の終わりはまったく想像の外にあった。だが、始まったものには終わりがある。しごく当然のことでもあった。
「少佐は、どんなお立場なのですか」
「たかが少佐ふぜいに立場も何もあるものか。東京で急造された機雷専門家のひとりにすぎんよ。だからこそ、戦争の後を考えてしまうのだがね」
「と、おっしゃいますと。――船長、速度はどうか」
浦賀は松原でなく、背後直上の操舵室を見上げた。
「ああ、四ノット出とりました。少尉さんは鋭い」
艇長がのんびりと応じる。
「海流のせいだろう。三ノットに減速」
浦賀は左舷へ走って大きなメガホンを持ち、「速力三ノットぉ」と遠くの僚船に叫ぶ。
「日本の動脈は、確認されただけで五千個以上もの機雷であちこち切断されている。こいつを処分せねば、国民が餓死するのだ。救える手段は掃海しかない。救えるやつは俺たちしかいない。戦争の終わりは機雷敷設の終わりであり、本格的な掃海の開始となるはずだ」
「少佐がおっしゃる『俺たち』に、私も入っているのですか」
「貴様はもう掃海隊の指揮官だろうが」
くつくつと松原が笑う。浦賀は由良丸の船足がいっこうに落ちないほうが気にかかった。潮の流れが、漁師たちの勘を超えて変化しているのだろうか。「失礼します」と言い、機関室がある後部へ足を向ける。
船尾の方向、たぶん二〇〇メートルほど先の海面が、白く盛り上がっていた。
浦賀が声を発するより早く、小さな由良丸の船尾が急速に上昇する。駆逐艦響の旗甲板に舞い戻ったような気分になる。由良丸は瞬間だけ静止し、こんどは舳先が持ち上がる。浦賀は倒れまいと必死で踏ん張る。船の動揺が収まったとき、さっき白く膨らんでいた海面には高々と水柱がそそり立っていた。
「機関停止」
浦賀は叫びながら走り、船尾のハッチを飛び降りる。機関員は焼玉エンジンのレバーを停止位置に下げたまま、船底へ探るような目を投げていた。
「こっちは大丈夫だよ、少尉さん」
機関員は指示を待たず機関を止め、浸水の確認までやっていた。その機敏さはいくら賞賛してもしたりないが、いまはそれどころではない。浦賀は「ご苦労」とだけ言い、短い梯子(はしご)を急いでよじ登る。第四天祐丸も甲板上を人が忙しく行き来しているが、沈む気配なさそうだ。メガホンで「集合」と数度叫び、それから甲板を駆け回る。船体のどこにも異常はなかったが、船尾で引っ張っていた掃海具の曳航索は第四天祐丸でなく海底のほうに延びている。爆発でちぎれ、磁石の重みで沈んでいるのだろう。
何かが足りない、と浦賀が気づくと同時に、「おうい」と声が聞こえた。
左舷の数メートル先に、白いものが浮かんでいた。海に投げ出された松原だった。
松原はすいすいと泳いで由良丸まで戻ってくる。いまの爆発で海面下は衝撃波が渦巻いていたはずだ。生身で投げ出されて、どうやって生きていたのだろう。本当に不思議な男だ、とむしろ感心しながら浦賀は海に手を伸ばす。
松原を引き上げたところで、「ふふっ」と声帯が震えた。謎めいた問答を仕掛けてきたくせに間抜けにも海に落っこち、凛々しい第二種軍装をぐっしょり濡らしている。そんな松原の姿がどうにも情けなく、おかしかった。声帯の震えがそのまま笑いになった。浦賀は腹を抱え、ひたすらに笑った。
「処分機雷、一」
松原はずぶ濡れのまま、身をよじらせて笑い続ける浦賀の肩を叩いた。
「あと救助者、一。お手柄だよ、浦賀少尉」
浦賀の笑いは止まらない。情けなく海に落っこちるのも、げらげら笑っていられるのも、生きているからだと思った。
以後半月ほどかけて、浦賀新吉少尉の指揮する第二一三掃海隊は約三〇平方キロメートルの海域を掃海、二個の磁気機雷を処分した。
その間に二発の原子爆弾が投下され、日本は降伏した。 〈つづく〉
