大戦末期、戦艦大和とともに沖縄水上特攻を命じられた駆逐艦響は周防灘で触雷、落後する。乗組員の浦賀少尉は、日本の内海すら米軍の機雷で埋め尽くされた現実に愕然とする。
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!

響は、外見こそ傷一つなかったが、受けた被害は大きかった。
タービン周りのみならず、艦体のいたるところで歪みや亀裂があった。外見に損傷が見当たらないのが不思議なくらいで、工期二か月の見込みで呉のドッグに入った。
修理の間、B‐29が単機や数機でたびたび飛来した。濃密な対空射撃をものともせず、B‐29は陸ではなく海に何かを落とし、散歩の帰りかと見まがうほど悠長に去っていった。
投下物は機雷だった。工員の努力で工期を一か月半に短縮されて修理を終えた響の前には、通過するだけで沈没が危ぶまれる死の海が広がっていた。
響は舞鶴(まいづる)回航を命じられ、機雷の敷設箇所が記された海図を受領した。急ぎ編成された掃海隊が啓開した髪の毛ほどの航路を通過し、出航する。ぐるりと西回りで至った舞鶴で食料品を補給し、こんどは新潟へ向かった。途中の関門海峡、出入りした舞鶴港、最後に至った新潟港、いずれも機雷に塞がれつつあり、誘導船の案内でそろそろと航行した。
新潟に着いた響は、大陸方面との輸送路を守備する第一〇五戦隊に配属され、だがタンクの重油は発電に必要な量を残して抜き取られた。出撃の都度で給油するとのことだったが、いつ出撃するかは告げられなかった。
航海士の浦賀も、後任者がいないまま異動となった。新たな役目は新潟港湾警備隊司令付。上級司令部はもう響を海に出すつもりがなく、不要となった航海士の次の仕事すら決めていないらしかった。
浦賀は黙々と荷物をまとめ、艦を降りた。埠頭から見上げると、海を疾駆(しっく)するために建造されたはずの響が、岸壁に繋がれている。
響の重油タンクにならったかのように、浦賀も空虚をかかえている。
死ぬために生まれた。死ぬ覚悟もできていた。だが、死に場所を奪われた。そんな自分は何のために生きているのか。理屈っぽい若者のような青臭い自問は、確実だった死から放り出された浦賀にとってあまりに切実だった。
浦賀がとぼとぼと歩く新潟港も、うら寂しい。機雷のために入港も出航もほとんど途絶しているという。行き交う人は少なく、何も載せていない大八車とトラックが、手持ち無沙汰な佇まいで並んでいる。停泊している船も、響とあと何隻かの内火艇だけだった。
突如、サイレンが鳴った。周囲にあったまばらな人影がはじけるように駆け出す。浦賀はぼんやり振り返る。浮き砲台となった響は対空戦闘のラッパをパッパカと性急に奏(かな)で、砲を連装で並べた三基の主砲塔を旋回させていた。
軍人さん、危ない。背後の遠くから親切な叫び声が聞こえる。浦賀は手を上げて応じ、だが動かなかった。動く気すら起きなかった。ゆっくり見上げると、雲量二ほどの晴れた夏空をまっすぐ進む黒い点がひとつある。米軍機、おそらくB‐29であろう。単機で悠々と敵国の空を飛ぶとは、舐められたものだ。
轟音とともに響の主砲六門が一斉に火を噴く。対空戦闘配置の発令から初弾の発射まで、いくばくも時が経っていない。浦賀は響砲術科の高い練度に心を震わせ、だが無意味な砲撃だと知っているから悲しくなった。
響の砲は水上戦闘のために作られている。上方七五度まで向けられるよう改修されているからいちおう空も狙えるが、そもそも時速数百キロで飛ぶ航空機など、狙って当てられる的ではない。矢継ぎ早に次弾を装填しようにも、水平に近い装填角度まで砲を下げる必要がある。
だいたい響には対空用の照準設備すら装備されていない。小さな艦にそんな余裕のスペースはなかった。機銃だけはハリネズミのごとく増設されているが、B‐29の高度は射程外だ。
遠くからいくつも砲声が聞こえ、上空には赤や青、黄色の爆煙が丸く膨らむ。陸上の高角砲が射撃を始めたらしい。遅い、と浦賀は舌打ちする。
B‐29と海の間に、白い点がぽつぽつと現れた。数は六つ。
それが投下された機雷であると、いまの浦賀は知っている。機雷は白いパラシュートを開きながら落下し、小さな水柱の列を作って着水した。新潟港を塞ぐ機雷の壁が、また増えた。
響がやっと二度目の射撃を行う。その勇ましくも虚(むな)しい戦いぶりに唇を噛みながら、浦賀は這うように歩みを再開した。
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岸壁の近くに、港湾警備隊の司令部がある。海辺に建てられたコンクリート造り三階建てのそっけない建物で、響が所蔵する第一〇五戦隊の司令部と、在勤海軍武官府も入居している。十分ほどの道のりを倍近くの時間をかけてのろのろと歩み、浦賀が着いたころには、空襲警報が解除されていた。
警備隊の司令部は二階にある。便所と給湯室のほかは広大なワンフロアで、空襲の直後だからか騒々しかった。
浦賀は剣呑(けんのん)な声で電話を切ったばかりの職員に教えられ、司令の執務机まで行く。着任を報告すると、「ご苦労」というねぎらいと新たな辞令書が返ってきた。
「貴官を第二一三掃海隊指揮官に任ずる」
辞令書にある通りのことを司令は言った。
「隊には二隻の小型掃海艇が所属する。少尉任官から間もない、などと気後れすることなく、励みたまえ」
はっ、と浦賀が応じると、司令は眉をひそめて「励みたまえよ」と再度言った。返事に覇気がなかったらしい。
司令に言われるまま浦賀は別のスペースへ行く。
そのあたりの壁には、新潟港周辺の大きな見取り図が貼られてあった。図のあちこち赤と黒のピンが、入港を阻むような列を作っている。赤は投下された機雷、黒は処理された機雷だろうな、と浦賀は直感する。金色の飾緒(しょくちょ)を右胸に垂らした参謀が打っている新たなピンは、さっきのB‐29が落としていったものだろう。新潟などの重要港湾には監視所が設けられていて、機雷投下で海面に立つ小さな水柱を、監視員が血まなこになって観測している。
「第二一三掃海隊指揮官、浦賀少尉です」
無理して声を張ると、将校が歩み寄ってきた。周りは防暑服や、浦賀のような開襟ネクタイの第三種軍装など緩やかな服装ばかりだから、白詰襟の第二種軍装をきっちり着こなした将校はずいぶん目立った。
「遅かったな。きみが最後だ」
名乗らないまま、将校は浦賀に言った。顔つきからして齢は三十半ばほど。肩に着けた階級章は少佐のものだった。
「空襲がありましたもので」
つい浦賀が口にした言い訳を少佐はとがめず、「なら、仕方ない」と鷹揚(おうよう)にうなずいた。
「では説明を始める。掃海隊の各指揮官は集まりたまえ」
四人が図の前に並ぶ。浦賀のほかはみな中尉で、齢格好はずっと上だった。召集された商船学校出か、兵から叩き上げた特務士官だろう。どちらにせよ、浦賀よりずっとベテランだ。
「海軍省軍務局、掃海部の松原(まつばら)少佐である」
白詰襟はやっと名乗った。
「小官は海軍省で二年ほど機雷戦を研究している。今日は新任の指揮官に対し、掃海について講義するため東京から来たわけであるが、つまりは陸上勤務が長い。潮気豊かな諸君の前に立つと気が引けるが、よろしく頼む」
話す松原は、たしかに船乗りらしくない。どちらかといえば冷徹な技術者を思わせた。
「ここ新潟港は、朝鮮半島北部を通じて運ばれる大陸の物資を荷揚げする、重要港湾である。出入りを妨げる機雷の除去、つまり掃海は、一日の猶予も許されない喫緊の課題である。そこで新潟警備隊は新たに四隊の掃海隊を編成し、諸君が指揮官に任じられた」
三人の指揮官が、任務の重さに高揚したのか心持ち背筋を伸ばした。浦賀は微動だにせず、内心もぼんやりしたままだった。
「諸君も断片的には知っているだろうが、目下、内地の要港と主要航路は、米軍の機雷で封鎖されている。すでに九州、四国、本州、北海道間は行き来すら困難な状況である。掃海隊による航路啓開は、来たるべき本土決戦を円滑ならしむるのみならず、銃後の国民生活を防衛するためにも必須である」
そこで松原は詰襟のホックを、次いで第一ボタンまで外した。
「今日は暑いな。それよりもだ、諸君にも愛する家族や気になる女性のひとりやふたりはいるだろう。その人々に、うまい飯まで行かずとも腹八分くらいの飯は食わせてやりたいとは思わんか。そのための任務だと思ってもらいたい」
「不謹慎です」
新任指揮官のひとりが憤然と抗議したが、松原は意に介する様子を見せない。
「なら、貴官は貴官なりの動機で働け。なんにせよ、諸君には奮励努力してもらわねばならん。小官はそこそこ口が回る。働く理由が欲しい者、つまりはうまく騙されたい者は、いつでも小官に連絡するように」
この人は何を言っているのだ、とさすがに浦賀も首をかしげた。
「ひとつだけ、深刻な話を付け加えよう。いま騙すなどと言ったばかりだが、これは本当の話だ。ことし昭和二十年の米作は、天候不順により不作と予想されている。だが日本は外海の制海権を失っており、もはや外地の米は入ってこない。内海も、いま述べたごとく機雷で塞がれている。不作なりに内地の産地で収穫された米を必要な地域に届ける、内地のどこかで余りそうな米を足りない地域へ運ぶという当たり前のことが、できない。このままでは、日本に待ち受ける運命はただひとつ」
飢餓(きが)だ、と松原は続けた。
「さっき小官が言った、腹八分だの気になる女性だのという話が、下手(へた)なたとえであることは認める。ただし、絵空事ではない。ありうる将来のうち可能性が最大であるのは、国民の餓死である」
ジャズソングは大人になってから、とたしなめてきた小学校の先生は、いまどうしているだろう。ふと浦賀は思った。現在の生徒たちと疎開しているか。もしくは空襲にやられたか。何であっても生きているなら、さらに生きていられるくらいの飯は食えてほしい。
「では、今日の本題に入る。まずは機雷そのものについて説明する。機雷分野の歴史や細かい各論は省き、諸君らの任務に関わることだけかいつまんで話す」
松原は話を転じた。
これまで一般的だった機雷は、係維(けいい)機雷と呼ばれる。箱型の係維器と球もしくは楕円型をした機雷缶のふたつで構成され、主に水上艦から投下される。海底に達すると係維器は自重で固定され、ケーブルに繋がれた機雷缶が海面下の設定された深度まで浮き上がる。機雷缶には接触を感知する触覚が数本突き出しており、通過する船がぶつかると起爆する。帝国海軍が使用する機雷はほとんどこの形式だ。
「次に沈底(ちんてい)機雷がある」
沈底機雷はたいてい円筒形をしており、文字通り海底に沈みっぱなしとなる。船の機関が発する音響、船の通行で発生する水圧、船体が帯びている磁気のいずれかに感応して爆発する。錘(おもり)となる係維器がなく軽いため、航空機や潜水艦でも敷設できる。感応機雷と呼ばれることが多い。
「米軍が日本にばらまいているのは、感応機雷がすべてと思ってもらってよい。ところでこの中に駆逐艦響の乗員がいると聞いたが」
「私です」
びくりとひとつ体を震わせてから、浦賀は答える。松原は「災難だったな」と言った。「響の触雷は、ほぼ確実に感応機雷である。航空機からの機雷投下が確認された時期とほぼ一致するからな。響を襲った機雷はおそらく設計想定より深い海底に落っこちており、ために水面まで届く爆圧が弱く、艦が沈むほどの損傷にならなかったのだろう」
さすが本省勤めの将校というべきか、松原は事故のことを詳しく知っていた。
「さて、話を戻す。これらの機雷をいかに除去するか」
係維機雷の場合、切断機を連ねた鋼製のロープの両端を曳(ひ)く二隻で掃海海面を進む。錘に繋がるケーブルを切られた機雷缶が浮き上がると、銃撃で起爆させるか、処分用の爆薬を使うかして処分する。
「感応機雷は、いわば誤作動で起爆させる。音響式機雷には発音弾を海中に投下する。磁気機雷であれば、でかい磁石をいくつも結わえつけたロープ、もしくは電気で磁気を発生させる電線を、二隻か三隻一組で曳く。水圧式への対応はまだ実用段階にないが、とくべつ丈夫に作った専用船で機雷上を航行するなどの方法を研究中である。厄介であるのは」
松原はなお続ける。
「米軍の機雷は、その信管に八回まで設定可能な回数起爆装置を備えている。つまり、船舶の通行を最大八回まで感知せねば起爆しない。回数の設定は任意で変更できる構造だが、掃海する我がほうとしては八回と考えるしかない」
「同じ海域を八回、掃海せねばならぬということですか」
誰かが発した質問に、松原は「そうだ」とうなずく。話を聞く掃海指揮官だけでなく、周りで執務中の警備隊職員も重い溜息を漏らした。
「まだある」
松原は妙に楽しそうだ。生粋の技術者なのだろうか。
「感応機雷には音響、磁気、水圧の三種があると言ったが、磁気と水圧を同時に感知せねば起爆しない複合型の機雷も発見されている。いまのところ、複合型機雷を掃海する手段は確立しておらん。おそらく米軍も同じだ」
それは、と浦賀は考えるより先に声が出てしまった。
「国際法上の疑義があります。機雷を敷設した国には、戦争終了ののち速やかに機雷を無力化する義務を有しますから。自分たちでも掃海できない機雷を、米軍は日本に敷設したのですか」
別に浦賀が物知りなわけではない。国際法は海を渡る海軍将校に必須の知識であり。兵学校でも教わる。
松原はちょっと目を丸くし、にやりと笑った。
「浦賀少尉と言ったか、敵の悪辣(あくらつ)さを憎む貴官の戦意を、小官は軍人に必須のものであると認める。ただし聞きようによっては日本が敗北すると言っているようにも取れるから、言い回しには留意したまえ」
「はっ、失礼いたしました。ですが、複合型の機雷はどう掃海すればよいのでしょうか」
失言をうまく取り繕ってくれた松原に、浦賀は礼でなく質問を続けた。
「複合型はそれほどの数がないことが分かっている。我がほうにできることはふたつ。まず、運悪く掃海中に機雷にやられる。こうすれば少なくとも機雷ひとつ分は航路が広がる。あとひとつは、祈ることだ。これから自分たちが掃海する海域に、複合型機雷がありませんように、と」
頼りない回答を、松原は自信ありげに言ってのけた。    〈つづく〉

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