「ルワンダには、紛争や病気が原因で手足に障害のある人がたくさんいます。」(撮影:本社写真部)
1994年、アフリカのルワンダで起きた大虐殺。ツチ族とフツ族の民族衝突を背景に、約100日間続いた大虐殺では、多くの命が奪われた。この悲劇や病気などで手足に障害を負った人々のため、義肢装具を作り続けている日本人女性がいる。きっかけは、ルワンダ人の夫・ガテラさんとの出会いだった──先日、吉川英治文化賞を受賞したルダシングワ真美さんのインタビューを配信します(構成=古川美穂 撮影=本社写真部)

始まりは短期留学から

久しぶりに日本へ帰ってきましたが、なんだか落ち着きません。私にとって、ルワンダにいることのほうが当たり前になっているみたいです。でも実は、ルワンダとの縁は、「現実逃避」から始まりました。

バブル絶頂期に法律事務所に就職したものの、20代半ばになると、事務員としてひたすら書類をタイプする毎日に、焦りを感じるようになりました。もっと人と繋がれるような仕事がしたい。この日本から逃げ出したいと、悶々としていたのです。そんなある日、書店で東アフリカのガイドブックを手に取り、「ケニアでスワヒリ語を学ぼう!」という広告を見て留学を思いつきました。

そうして会社を辞めて行った留学先のケニアで、ルワンダ人のガテラに出会います。当時アフリカでは、日本人女性というだけでチヤホヤされ、「結婚しよう!」と迫ってくる男性も多かったんです。でも、ガテラは違いました。いつも毅然としていて、一人の人間として私に向き合ってくれる。「どこか気になる人」として心に残りました。

帰国後、手紙を出してみたら返事がきて、嬉しかった。ところが、同封されていた写真を見ると、彼の自慢のドレッドヘアがなくなっている。いったい何があったのか、さらに手紙で尋ねると、想像もしていなかった返信が。

90年当時、ガテラの故郷ルワンダは、ツチ族とフツ族の民族対立が高まって治安が悪化。ツチ族である彼は隣国に避難していたそうです。ある日、ヨーロッパでの行商の仕事帰りにルワンダで飛行機を乗り継いだ際、「ツチ族の男がいる」と引きずりおろされ、ひどい暴行を受けたのだと。ドレッドヘアはそのとき引きちぎられた、という話でした。

私が知っていたのはアフリカのほんの一面だけだったんだ……と思い知らされました。飢餓問題や貧困のことは知ってはいたものの、民族紛争にまで関心を払っていなかった。彼の手紙で初めて、闇の部分を教えられたのです。同時に、ルワンダとガテラのことをもっと知りたい、と思うようになりました。

それから半年ほど文通を続け、私は再びガテラがいるケニアへ旅立ちます。そこでお互いの気持ちを確かめ、私は帰国。遠距離恋愛を続け、91年、ガテラは初めて日本を訪れました。父に紹介したところ、最初は当惑していましたが、その後は打ち解けたようすでした。