光陵が次に訪ねてきたのは、あたしが今の竹林の家に移ってしばらく経ったころでした。驚きましたよ。どうして、ここがわかったのかとね。
光陵は笑っているだけで、何も言いませんでした。おそらくですが、岡っ引崩れでも使って探らせたのでしょう。あたしは自分の住処を隠しちゃおりませんでしたから。隠してしまうと、患者たちが、子を孕んだまま迷い続ける女たちが、辿り着けなくなるじゃありませんか。評判になどならなくてもいい。だけれど、最後の逃げ場所があるんだと陰でそっと囁かれるようではありたいと思っておりましたからね。
このときは、雨は降っていなかった気がします。秋が深まったころでしたけれど。
お春さんとはまだ出会っておらず、末音は珍しく外に出ておりました。夜に咲く花を採りに行くといって、出かけていたのです。あたしは一人でした。まだ、宵の口だったはずです。ええ、深夜とか明け方ではなく、宵の口。これから、夜が始まろうかという時分でした。
今度は表口から堂々とおとなってきた光陵を、あたしは部屋に招き入れました。別れの挨拶に来たと告げられたからです。
いえ、別に今生の別れかと気持ちが動いたわけでもありません。今生の別れになるとは思いましたけれど。それが淋しいわけでも、辛いわけでもありませんでした。
ただ、あたしなりに確かめたいことがあっただけです。
ええ、そうです。
光陵は本当に日野家の人々を皆殺しにしたのか。そこを、確かめたかったのです。ただ、表口に立つ光陵を目にした瞬間、殺したなとは感じました。
人を殺(あや)めた凄み……いえ、凄みとは違いましたね。何と言うのでしょう、人として越えてはならない一線を越えてしまった者の気配……もう人には戻れぬ者の狂気のようなものを、光陵は纏っていたのです。
ですから、あたしは部屋で光陵と向き合ったとたん、本音を伝えました。
「あんた、本当に殺ったんだね」
と。光陵は答えませんでした。代わりに、どれだけの金が手に入り、その金を使って、大坂でどういう暮らしをするかとか、龍堂を真似て、しかし、龍堂よりずっと上手く医術を商いにしてみせるとか、そんな話をすらすらと語りましたね。
ええ、光陵はよくしゃべりましたよ。相手によって寡黙にも饒舌にもなれる性質(たち)のようです。そう、相手によって残虐にもとことん親切にもなれる性質でもありましたかねえ。何とも、奇異な人物ですよ。
ああ、でも話はもう切り上げましょう。些か長話になり過ぎましたからね。
え? 目を潰した? ええ、そうですよ。嘘でも譬え話でもありません。そのまんまです。あたしが、潰しました。火箸でね。
光陵があたしを犯そうとしましたからね。ええ、「もう、そろそろ引き取ってくださいな」と、あたしが腰を浮かしかけたとたん、襲いかかってきたのです。
いえ、あたしに欲情したとかじゃないですよ。龍堂と同じです。あたしの身体を調べたかっただけです。見知らぬ生き物に気持ちを動かされるのと同じですよ。龍堂も光陵も医者としては、秀でた才を持っておりましたから、あたしが並と違うことを嗅ぎ取っていたんでしょうね、
江戸を発つ前に、心残りを取り除いておこうという気持ちであったのでしょう。むろん、好奇の心も疼いていたと思いますよ。
不運なことに……あたしじゃなく、光陵にとって不運なことに、末音は留守でした。龍堂のときのように止めに入る者は誰もいなかったのです。
だから、あたしは自分で自分を守りました。男の心残りや好奇の餌食になるなんて、真っ平でしたからね。
火鉢を出したばかりでした。炭はまだ入れていなかったけれど、灰も新しいものに代えて、五徳も火箸も具えていました。
その火箸を掴み、あたしは圧し掛かってきた光陵の目に向けて突き刺しました。
それだけです。
人の悲鳴や叫び声は、数えきれないほど耳にしてますが、ほとんどが女のものです。男の雄叫(おたけ)びに似た悲鳴を聞いたのは、あのときが最初で最後かもしれません。あれほどの声を聞いたのはね……。
それから、どうなったか?
あたしは、知りません。光陵は顔半分を血で汚しながら、宵の闇に消えました。あたしの手許に残ったのは、先に血の付いた、真新しい火箸だけです。
「そういう男がまた、江戸に舞い戻ってきた」
平左衛門が低く呟く。
「ええ」
「舞い戻って越冬虫のことを知ったのか、知ったから舞い戻ってきたのか……」
「さて、それも答えかねますね。今のところ、まるでわかりません」
煙管を仕舞い、平左衛門は目付きを鋭くした。
「甲三郎」
「へい」
「暫くは先生の指図に沿って動け。おれが許す」
「へい」
甲三郎は畳にこぶしをつき、頭を垂れた。
まもなく夜見世が始まる。
風が庭の草を揺らして、通り過ぎた。












