写真提供:篠原豪太
かつて自宅に風呂のない人が生活の一部として利用していた銭湯が、いま交流やイベントの場として静かなブームになっている。そんななか注目を浴びているのが、銭湯の建物内部を建築の技法を使って描いた「銭湯図解」だ。作者は東京・高円寺の小杉湯で番頭を務める塩谷歩波(えんや・ほなみ)さん。大学院の建築学科を出て設計事務所でバリバリ働いていた彼女が、「街の銭湯」に転職しイラストを描いている理由とは── (構成=古川美穂)

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◆どん底の時、「交互浴」が救ってくれた

昔から絵が好きでしたが、大学の建築科を目指すようになったのは母の影響です。母は私が子どもの頃、インテリアコーディネーターの資格を取るため専門学校に通っていて、家で課題の図面などを引いていました。その姿を子ども心にかっこいいと思ったんです。パース(透視図)の書き方を教えてもらい、建物を描く楽しさに目覚めました。

2015年に大学院の建築科を修了し、設計事務所に就職。でも建築業界というのは非常に忙しいハードな世界で、ほどなくして体を壊してしまいました。

今振り返ると仕事が忙しいだけでなく、自身が生活をおろそかにしていたツケもあったんだと思います。夢中になると朝食や昼食を抜いたり、睡眠も長くて5時間、最低2時間とか。学生時代から課題などで徹夜することも多く、ずっとそんな調子だったので、まさか自分が体を壊すなんて思ってもいませんでした。

最初は耳鳴りとめまい。そのうち歩いている途中に突然、泥にはまったような感覚が襲ってくるように。やがて朝起きられないほど体が重くなりました。人と話していても疲れて呂律(ろれつ)が回らない。次第に精神的にも追い詰められていって。仕事中に業者さんからちょっと強めの指摘を受けただけで涙が出たり。

あまりに調子が悪いので病院に行くと、機能性低血糖症と診断されました。血糖値がコントロールできず、自律神経が乱れて、いろいろな症状が出てしまう病気です。病気なのだから仕方がないのに、その頃はそう思えなかった。自分のメンタルが弱いからこんなことになるのだと思い、ますます落ち込んでいきました。

療養のためにまずは3ヵ月休職することに。でもなかなか体調は戻らないし、お金もない。こんな調子じゃ辞めてもほかに働き口はないだろうし。ないない尽くしで自分がダメすぎて嫌になり、もう死んでもいいかな。そう考えるぐらい落ち込んでいました。

そんな時、友達に誘われて家の近くの銭湯に行ったんです。銭湯って古くさいイメージだったのですが、印象が一変しました。昼間の光が差し込む大きなお風呂が本当に気持ちよくて。久しぶりに芯からリラックスすることができました。それを担当医に話すと、「体を温めるのはいいことだから、どんどん行きなさい」と言われて。

家で鬱々としていた時はすごく視野が狭くなっていたのですが、銭湯という「日常とは違う場所」に行ったら、悩みも軽くなったような気がしました。調べたらほかにもいろいろなところがあったので、銭湯通いを始めて。そうしたら、みるみる体調が良くなっていったのです。とくに熱いお湯と冷たい水に順番につかる「交互浴」が私の体にはぴったりでした。銭湯に行けば行くほど、体も心も軽くなっていったんです。

仕事を休んでいる間は遊んではいけないと思っていましたが、銭湯は「医療行為」だと思うと、罪悪感なく通えました。弱り切っていた私にとっては、いろんな意味で銭湯がちょうどよかった。ワンコインでゆっくりできますしね。