「アメリカのティーンエイジャーといえば」
今から10年ほど前、夫の研究の都合でポルトガルのリスボンからアメリカのシカゴに移り住んだのを機に、息子のデルスは地元の公立高校へ入学することになった。当時私の頭の中にあったアメリカのハイスクールのイメージは、映画などで見るような楽観的な華やかさで、そのうちデルスがブロンドの髪をポニーテールに結ったチアリーダーみたいなガールフレンドや、アメフトの選手みたいな友人を家に連れてくるんじゃないかと胸を躍らせた。
しかし、そんな私の妄想のどれもが、無責任な先入観に過ぎなかったと気づくまでにそう時間はかからなかった。デルスのクラスメートのほとんどは、有名大学への進学しか頭にない、達観した大人のような表情のガリ勉ばかりで、チアリーダー風女子もアメフトの選手風男子も、彼のクラスの中にはひとりも見当たらなかった。
気がつけば我々は、こうした外付けの情報で得た多くのイメージを何の疑いもなく信じ込んでいる。異文化圏の人々に対する先入観は偏見を生み出すが、人というのはどうも、自分が信じたい、見たいようにしか現実を受け入れない性質があるので、先入観の修正は実は容易なことではない。
オードリー・ヘプバーン主演の『ティファニーで朝食を』には、ミッキー・ルーニー演じる“ユニオシ”なる日本人中年男性が登場する。映画を観た方は、当時のアメリカが思い描く日本人のイメージに面食らったのではないだろうか。かつての欧米の風刺画に現れる日本人といえば、“ユニオシ”のように釣り上がった目にメガネで出っ歯が定番。戦後はこれに首から掛けたカメラが加わる。
アメリカのティーンエイジャーといえば金髪ポニーテールのチアリーダーとアメフト青年というイメージを当然のように抱いていた私が、出っ歯にカメラの日本人についてあれこれ言う筋合いはないが、日本人に対するそうした先入観にはやはり戸惑いを覚えてしまう。