「街で、『蛭子さん、認知症になったんだってね』と話しかけられても俺は平気です。むしろ公表して生きやすくなったように感じます。」(撮影:本社写真部)
2020年7月に放送された健康バラエティ番組の中で、初期の認知症と診断された蛭子能収さん。あれから半年、コロナ禍で外出がしにくい今、どのように過ごしているのでしょうか。蛭子さんの記憶や説明を補うため、長年にわたり彼を支えてきたマネージャーにも同席してもらいお話を聞きました(構成=丸山あかね 撮影=本社写真部)

ちょっとずつもの忘れがひどくなって

蛭子 あ、今日は『婦人公論』さんの取材なんだ。はじめまして。

マネージャー(以下、マネ) 以前にも何度かお世話になっています。

蛭子 えっ! 前にも? 覚えてない。イカンなぁ。また認知症が進行したんじゃないかな、俺……。

マネ 大丈夫です。蛭子さんは以前から雑誌名や人の名前を忘れてしまう……というか、そもそも興味のないことは覚えない人ですから。

蛭子 そうなの? アハハハハ。
 

まずは、認知症と診断されるまでの経緯について伺うと――

マネ 6年前、蛭子さんが67歳のときに出演したテレビ番組で、MCI(軽度認知障害)と診断されていたんです。それからずっと病院で経過観察はしていただいていました。

蛭子 当時は、なんで通院しなくちゃいけないの? って感じで、軽度の認知障害と言われてもピンとこなかったんだよね。だって普通に仕事をして、生活もしてたから。周囲の人たちからも「蛭子さんは若いときからボンヤリしてたよ」とか言われて、「ですよね~」と思っていたんですよ。

ところが、ちょっとずつもの忘れがひどくなってきた。なんかこう、頭がボーッとしてしまうことが増えて……。どんなことを忘れたかについては、忘れてしまいましたけど。(笑)

マネ 何回も訪れている場所なのに覚えていないとか、すごくお世話になった人なのに初対面だと思ってしまうとか、ということですよね。ただ蛭子さんの場合、昔から「今日、何曜日だっけ?」みたいなことが多かったので、もの忘れだけだったら周りは異変に気づけなかったかもしれません。