イラスト:毛利みき
家族は、さまざまな価値観の集合体。自分では「エコだ」「計画的だ」と思っていても、嚙み合わない相手とは平行線が続き──(「読者体験手記」より)

「またそんな金がかかることをして」

「こんな贅沢をして!」

父の怒声で、食卓が静まりかえるのはいつもの光景だ。小学2年生だった私と2人の姉は、口に運びかけていたカツオのたたきをそっと皿に戻した。

6人きょうだいの末っ子長男として育った父は、家があまり裕福ではなかったため、一滴の水も無駄にしないしつけを受けてきたという。そんな父にとって、ハレの日でもない普段の夕食にカツオのたたきが出されることは、贅沢以外のなにものでもなかった。

料理を出した母はといえば、多忙でほとんど家族と食卓を囲むことのない父のため、せっかく好物を買ってきたのに怒鳴られ、納得がいかない様子で仏頂面。甘えびを食卓に並べても、牛肉を料理に使っても、いつも怒られていた。

父は着るものや子どもたちの習い事に対しても、「またそんな金がかかることをして」が口癖だった。私たち姉妹は、母の趣味で高級子ども服を着せられ、フルート、バイオリン、ピアノ、英語、テニス、スイミングなどの習い事を2つも3つも掛け持ちしていたが、父にしてみれば、習い事や洋服などというのは所詮趣味のもの。

勉強は学校だけで十分、洋服も寒さをしのげるものが数着あれば十分、と心の底から思っており、自身のスーツも「スーツの形をしていればいいのだから、一番安いものを」と母に買いに行かせ、擦り切れても着続けていた。私はそんな父が恥ずかしかった。