トキメキを失った相手のはずだったのに
「子ども」という共通の話題と目標がなくなると、夫婦関係がギクシャクするのはよくある話。子どもが大きくなるまではと我慢していた不満が募り、「離婚」の二文字が頭をよぎることもあるだろう。複雑な思いもあるけれど、夫婦の絆をつなぎ留める新たな「かすがい」を得たという4組の夫婦に、話を聞いてみた。
3年前、就職を機に娘(25歳)がひとり暮らしをはじめてからというもの、夫(58歳、自営業)との話題は、ラブラドールレトリバーのハッピーのことがもっぱらという香苗さん(56歳、仮名=以下同、専業主婦、千葉県在住)。
「16歳のおじいちゃん犬で、湿疹やら胃炎やら、身体のあちこちにガタがきているんです。だから夫は、仕事から帰るとまずハッピーに向かって、『ただいま。今日は体調どうだった?』とまるで子どもに尋ねるかのように話しかけるので、私は『大丈夫だったよ』と子ども口調で答えます。二人きりの生活が久しぶりで、目を合わせて会話するのはなんだか気まずいんです。お互い、視線はいつもハッピーに向いていますね」
と語るが、娘が巣立つ前から夫婦仲は悪いというわけではなかった。愛犬を通して夫の優しさを再確認したのだという。
「実父が末期がんを患い、今年の夏に亡くなるまでの約半年間、私が自宅で世話をしていました。その介護が原因で腰痛持ちになってしまい、毎日のハッピーの散歩がつらくて仕方なかったんです。ラブラドールレトリバーは大型犬。老犬とはいえ、リードをぐいぐい引っ張られると腰に激痛が走る。そんな私を見かねて夫が、『俺がやるから』と言ってくれました。仕事で疲れているだろうに、嫌な顔ひとつせず、散歩を担当してくれるようになったんです」
その甲斐あってか、少しずつ腰がよくなってくると、夫は、「運動不足は腰によくない。俺がリードを持つから、一緒に歩かないか?」と香苗さんを誘い出した。久しぶりの散歩だったせいもあり、香苗さんはちょっとした道路のくぼみに足をとられて、危うく転びそうになってしまう。
「すると、夫がサッと私の腕を掴み、支えてくれたんです。それでね、『気をつけろよ』と言いながら、さりげなく手をつないできて……。夫と手をつないで歩くなんて、子どもが生まれて以来、一度もなかったから、まるで若い頃に戻ったようにドキドキしてしまいました。夫のことはとうの昔に、『子どもの父親』としか見られず、トキメキの『ト』の字もなくなっていたのに」
その日から、犬の散歩は夫婦の貴重な触れ合いの時間となった。
「手をつないでいると、景色が輝いて見えるんです。たぶん、夫も同じだと思う。スキンシップは心を若返らせてくれるんですね、きっと」
倦怠気味の夫婦に新鮮な風を吹き込んでくれた老犬は、最近、すっかり歩く力が衰えてきた。
「ヨタヨタと歩く姿を見つめながら、夫が『ハッピーみたいに年を重ねて、お互いに弱ってきても、支え合っていこうな』って、握る手に力を込めてきたんです。この人となら将来安泰! と心から信じられた瞬間でした。ハッピーがいなければ、きっとこんなふうに夫を見直す機会を得られなかったでしょう。この子に感謝です」