花に囲まれた暮らしをしようと心に決めていた
37歳でシングルマザーになって以来、2人の子どもを育て上げることだけに心血を注いできた葛西智子さん(70歳・仮名=以下同)。生活費を入れない夫が家を出ていったのは、下の子がまだ1歳になる前のことだった。
パートで塾の講師をしていた葛西さんがまず考えたのは、安定した収入を得ること。38歳で、新聞の求人広告を頼りに近所にある機械メーカーの事務職の仕事を得たのも、毎月の収入を確保するためだった。
「翻訳の仕事に就きたかったのですが、会社を選んでいる余裕はありませんでした。就職できればどこでもよかったので、どんな仕事をするのかなんて考えていなかったから」
30年前のメーカーはまだまだ旧態依然としていて、女性活用など絵に描いた餅。仕事はいつも男性社員のアシスタントだった。給料は男性より安く、まして中途採用の女子社員に責任ある仕事は回ってこない。新卒の男性がいつのまにか上司になっているのも当たり前だった。
「何度も悔しい思いをしましたが、子どもたちが自立するまでは、と我慢の日々。辞める選択肢はありませんでした」
定年の60歳から2年間の継続雇用を経て、無事退職した葛西さんだったが、実は、在職中に定年後の生活のイメージが湧くある出会いがあったのだという。
「あるとき、会社の玄関と社員の休憩所に花を飾ることになったんです。福利厚生の一環なのか、受付周りの印象をよくするためなのか、毎週、花が配達され、女子社員がアレンジすることになりました。誰が花を生けるのかなかなか決まらず、結局、最年長の女子社員だった私にお鉢が回ってきて」
生け花には多少の嗜みがあった葛西さんは、毎週、工夫して大きな花瓶に花を生けるこの役目が気に入った。仕事の合間や、ときには残業をして、花と触れ合った葛西さん。退職したら花に囲まれた暮らしをしようと心に決めた。
2人の子どもたちもそれぞれ結婚し、ようやく肩の荷が下りた葛西さん。これからは好きなことをして自由に生きようと、まずはフラワースクールに入って基礎から学び直し、インストラクターの資格を取得。花の仕事に結びつけようと張り切った。
葛西さんには、「花」を単なる趣味にするつもりは初めからなかった。給付される年金が、老後を送るにはあまりにも少なすぎたからだ。
「資格を取ってから、初めはフレッシュフラワーをアレンジする仕事として、家庭を含め、事業所やいろんな施設に花を入れる出張フラワーアレンジメントをしようと考えました。もちろん、どうすれば受注できるかなんてアイデアもなく、思いだけが先行して、結局仕事にはつながらなかったのです」
それでも花の仕事をあきらめようとは思わなかった。先行投資も試行錯誤も、定年まで会社勤めをした自分へのごほうび。生活のために仕事を選ばず働かざるをえなかった日々を考えると、定年後の特権のようにも感じられたという。