圧倒的なオーラを放つトップスターの存在、一糸乱れぬダンスや歌唱、壮大なスケールの舞台装置や豪華な衣裳でファンを魅了してやまない宝塚歌劇団。初の公演が大正3年(1914年)、100年を超える歴史を持ちながら常に進化し続ける「タカラヅカ」には「花・月・雪・星・宙」5つの組が存在します。そのなかで各組の生徒たちをまとめ、引っ張っていく存在が「組長」。史上最年少で月組の組長を務めた越乃リュウさんが、宝塚時代の思い出や学び、日常を綴ります。第28回は「宝塚と着物」のお話です。
(写真提供◎越乃さん 以下すべて)
(写真提供◎越乃さん 以下すべて)
宝塚と着物は切っても切れない関係
「日本物がきたら退団する!」と豪語していたほど、着物が嫌いだった私。
宝塚とお着物は切っても切れない関係にありました。
今日はそんな宝塚とお着物のお話を。
宝塚音楽学校の合格発表のあと、合格した生徒がまずすること、
それは、採寸です。
音楽学校のグレーの制服と、
タカラジェンヌの正装である黒紋付と緑の袴を作るためです。
合格した喜びで軽いパニックを起こしながらも、なんだかんだ採寸が始まります。
黒紋付には自分の家の家紋を入れるらしく、
「家紋って何??」
というところから、七五三以来の着物とのお付き合いは始まりました。
黒紋付の他にもうひとつ、色物の着物も作ることになります。
色着物は式典や、「すみれ売り」といって毎年5月に宝塚音楽学校生が、
すみれの造花を募金してくれた人に手渡しするという行事があり、
そのときに初めて着用します。
新潟から出てきて、宝塚のことを何もわかっていない私と母。
年頃の女の子だからという理由だけで、ピンクの着物を誂えました。
172cmの男役がピンクの着物
ちょっと今ではあり得ないですが、
その年の5月の「すみれ売り」で、未来のタカラジェンヌとして私はピンクの着物でデビューしました。
がたいのでかいピンクの着物の男役は、後にも先にもめずらしかったことと思われます。
 
「すみれ売り」のピンクの着物。こんな初々しい時代がありました。
ちなみに同期の水夏希さんは、黄緑の紅型(びんがた)。
すでにスターオーラを纏っていました。






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