「コロナ禍でも人への思いやりを大切にし、いつもの暮らしを守ろうとしてきた。それは、中世から疫病と戦い公衆衛生の礎を築いてきた、半島に生きる人々の品格なのかもしれない」と話すのは、イタリア在住のジャーナリスト、内田洋子さんです。ミラノ、ヴェネツィア、リグリア州の港町、船で巡った島々……。イタリアにわたって40年以上になる内田さんの日常には、たくさんの物語があるといいます。実は内田さんに「洋子」と名付けたのは、幼少期に毎日海へ連れていってくれたお祖父さんだそうで――。
海の向こうで見つけたもの
神戸で生まれ、須磨(すま)海岸に通って育った。
毎日欠かさず幼い私を海へ連れていってくれたのは、祖父だった。造船会社に勤めた祖父はクリスチャンだったが、戦争を経て、沈思し、棄教した。
「神戸の海と山の神様のところに戻りたくなったからだよ」
瀬戸内海を前に、よく独り言のように祖父は繰り返していた。
神戸には港を介して異国のさまざまが隅々まで浸透していたけれど、分け隔てされずに日本の風習ともうまく融和し、西洋でも東洋でもない独特の気配があった。
暮らし方にも心もちにも境がなく、自分にも人にも自由な町だった。後に他の土地に移り住んで初めて、瀬戸内海を見て過ごした幼少期がどれほど貴重なものだったのかを知った。