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「男は仕事、女は家庭」の象徴
母が何を喜ぶかとか全く考えていないのではないか。「ママが好きなものとか何も考えてないよね。高いものだからいいだろという感じ。これだったらおカネのほうがいいよね」と悪態ついたら、母はまた「男の子だから仕方ないのよ」と言う。
マスクメロン。昭和のお見舞いの定番。私には「男は仕事、女は家庭」の象徴にみえる。「マスクメロン、見るだけで不愉快。庭にぶちまけたい」と前出とは別の女友達にLINEしたら、「ぶちまけるなら、私のお腹にして下さい」と返ってきた。タイミングよく次の日に会うことになっていたので、持参した。
私の周囲にも、「介護は息子ではなく娘」と考える母親を持つ女友達が複数いる。それどころか、娘しかいなくても、家事・子育てをしている娘は「忙しい」から、親の世話は「行き遅れで仕事をしている娘」と考えている母親の介護をする女友達も複数いる。一方、過日、最近親の介護をするようになった同年代の男性に会った。慣れない料理が大変だそうだ。仕事にまい進し、家事は妻に任せてきたのだろうか。彼は「『介護は最後の子育て』という言葉がある」と教えてくれた。まだ素直に受け止められない。
今春、弟が日本勤務となった。隣駅に住んでいるが、この原稿を書いている時点で母には電話1本。もちろん私にはない。母は「疲れているだろうから、うちに来なくていいよ」と繰り返して電話を切った。「いくら疲れていても顔ぐらい出すのは当たり前でしょ」とまた怒ってしまったら、母は答えた。「男の子は仕事で忙しいから」。
母が可哀想になってきた。「男は仕事、女は家庭」の連鎖。時の経過を待つしかないのだろうか。