(構成:岡田尚子)
オヤジさんは奇術師、両親は駆け落ちで
昭和45年から平成2年まで放送されていたNHK教育テレビの幼児向け工作番組『できるかな』の名キャラクター、「ノッポさん」を覚えておいでだろうか。ひょろひょろっとした長身に、頭には緑色のチューリップ・ハット、そして隣には相棒のゴンタくん……。そう、あのノッポさんである。
『できるかな』が終わってもう14年も経つなんてちょっと不思議な気がするが、今年、古稀(!)、70歳を迎えたというノッポさんは今もステージやイベント、そして童話執筆などを通して全国の子どもたち――ノッポさん流に表現するなら「小さいひとたち」から慕われている。
保育士さんへの指導依頼も絶えることがない。ノッポさんはなぜ子どもたちと仲良くつき合えるのだろうか。
私は、『できるかな』の前身の『なにしてあそぼ』から数えると、約25年もの間、幼児向け番組に出ていましたが、小さいひとを相手に仕事をするようになったのは偶然なんですよ。その偶然なんてところから、なんと一生小さいひと相手の仕事ってことになっちゃった。では、まずは私が「ノッポさん」になるまでをお話ししましょうか。
私は京都生まれですが、育ったのは東京の向島です。ちなみに本名は「高見嘉明(たかみよしあき)」。4人きょうだいの末っ子で、オヤジさんは奇術一座の若手奇術師、オフクロさんは両国・国技館の相撲茶屋の4人姉妹の3番目。国技館にオヤジの一座が出演したときに恋仲になった両親は、オフクロの両親から結婚を反対されて駆け落ちして一緒になったんです。
私が生まれたとき、オヤジは京都で映画俳優をしつつ、役者長屋の一角で電気器具店を開いていました。そこへ東京のオフクロの実家から「戻ってこい」との声がかかった。すでに相撲茶屋は廃業していて、オフクロのすぐ上の姉さん一家が経営していた町工場の羽振りがよかったので、オヤジが工場長として雇われることになったんです。私が4歳のときでした。
小さいころは、自分で言うのもなんですが、とてもとても賢い子でした(笑)。本が好きでね、片思いしていた女の子のお父さんが早稲田大学教授だったので、家の蔵書を貸してくれるのをいいことに、小学校中学年ころから夏目漱石や谷崎潤一郎、有島武郎などを読んでいました。
いっぽうでは、芸人の息子として、タップダンスやバレエ、歌も習いました。