20世紀を代表する天才画家パブロ・ピカソ。91歳で生涯を閉じるまでに約1万3500点の絵とデッサン、約13万点の版画や彫刻、陶器を製作し、最も多作な画家としてギネスに認定されている。2023年に没後50年を迎えるにあたり、世界各地で特別展が開催され、日本でも国立西洋美術館などで展覧会が行われたピカソ。その生き方は、親の教育が影響しているそうで――。
●ピカソの言葉
わたしが子どものころ、母はこう言った。
「兵士になれば、おまえは将軍になるだろう。修道士になれば、いずれローマ法王になるだろう」
わたしは画家の道を歩み、ピカソとなった。
子ども時代の逸話
ピカソは1881年10月25日、スペイン南部のアンダルシア地方マラガに生まれました。はじめての子どもであるピカソを溺愛していた母親の言葉を、ピカソはさまざまな場面で語っています。
人が幼少時をふくめた過去のエピソードを語るとき、そこにはたいてい意図があるものです。相手に自分を知ってほしいという意図、自分を支えている出来事をあらためて誰かに話すことで再び支えられたいという意図、そして、ピカソのように自分が望むイメージを相手に刻印したいという意図などが。
このエピソードでピカソは3つのことを伝えることができました。自分にはどの分野でも成功できる優れた能力があること。「ピカソ」は個人の名前を超えた、画家の頂点をあらわす名になったこと。自分はそんな自分の偉大さを堂々と誇る人間であること。
ピカソにはたしかに人を圧倒する魅力、オーラがありました。母親の言葉、「誰もが目を奪われる、天使の美しさと悪魔の美しさをあわせもった子でした」、これと似たことを多くの友人知人、恋人たちが言っています。
生来の魅力もあったけれど、自分のなかから好みの魅力を抽出し、自分で自分のイメージをつくってアピールするということもまた、かなり意識して行っていたのです。