優生思想に基づいた「旧優生保護法」で、日本国憲法第13条に定められた幸福追求権を奪われ、強制的な不妊手術を受けさせられた被害者たち。半世紀近くも苦しんできた当事者には、高齢化という課題も顕著になっている。問題の解決に向けて歩み始めた人々の肉声と現状のルポルタージュ、後編 

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辛かった日々に差し込んだ「証拠」という光

飯塚さんを取材した番組を見て、宮城県の女性が「義妹も同じ手術を受けた」と気づく。そして、当事者の佐藤由美さん(60代・仮名)が県に「優生手術台帳」の開示を請求すると、手術の記録が出てきた。

「理由とされたのは、“遺伝性精神薄弱”。『義妹は知的障がいがあるが、それは幼い頃に受けた手術の後遺症によるもの。遺伝性ではない』とお義姉さんは憤っていました」(新里弁護士)

待望の証拠だった。18年1月、佐藤さんは旧優生保護法下で行われた強制不妊手術に関して、国家賠償請求訴訟を起こした。当初、新里弁護士は、飯塚さんに一緒に裁判をしようと呼びかけたが、証拠の「不存在」から訴えを拒否され続けていた飯塚さんは渋っていた。

ところが2月、宮城県の村井嘉浩知事が「公式資料がなくとも女性(飯塚さん)が当時、法律下で手術を受けた事実は認める」と発表。これを受けて、飯塚さんも5月に提訴した。佐藤さんの裁判と併合されて、すでに4回の口頭弁論が行われている。

早ければ19年にも結審し、判決が言い渡される見通しだ。「長くて孤独な闘いで、毎日が苦しかった」。提訴後の記者会見で、飯塚さんはそう言って涙を流した。