大迫傑、箱根での活躍
華々しいデビューだった。大迫傑(すぐる)は早大のルーキーだった2011年の箱根駅伝で1区に登場。序盤で集団から抜け出し、他を寄せつけない圧巻の走りで区間賞を獲得した。
これで勢いづいたチームは往路で2位につけ、復路で逆転して総合優勝と大学駅伝3冠を達成した。
長野・佐久長聖高時代は、2年だった08年の全国高校駅伝でアンカーの7区を任され、区間賞の快走で初優勝のゴールテープを切った。09年にはエース区間の1区で区間賞を獲得した。
期待されて入学した早大では、出雲全日本大学選抜駅伝で2区3位の滑り出し。続く全日本大学駅伝でも2区を任され、区間記録は3位だったものの、1区が9位と失速した出遅れを挽回し、チームを2位に引き上げた。
いずれもチームの優勝に貢献する働きだったが、その後の活躍に比べると、前哨戦では突出した走りというわけでもなかった。
それだけに箱根デビューの印象は鮮烈だ。
「スタートから自分のペースで行こうと思っていた」という通り序盤から飛ばし、10キロ過ぎまでは佐久長聖高の先輩でもある日大の堂本尚寛とのマッチレースとなった。15キロ過ぎから引き離し、「監督からは、自分のペースで走れば区間賞を取れると言われていた。自信はあったし、良い形で後ろにつなげた」と満足げに振り返る。
2年目も「最初から自分のペースで行くと決め、その通りのレースができた」と、再び1区区間賞。
3年目は3区を任されて区間2位。12位でたすきを受けると、「とにかく前を追うことだけを考えた」と前半からハイペースに挑み、チームを3位へ浮上させた。区間賞を獲得した東洋大の設楽悠太には8秒及ばなかったものの、猛烈な向かい風の中、9人抜きの力走を見せた。
主将を務めた最終学年では、再び1区を走った。やはり序盤から先頭集団を引っ張ったが、終盤に失速して5位に終わった。ただし、チームは後続の仲間が巻き返して往路を3位で終えた。「自分が駄目でも、みんなが力を出し切ってくれた」と感謝し、団体種目の醍醐味を味わった。
総合優勝を果たしたのは1年目だけで、翌年からは4、5、4位。それでも、駅伝ファンの記憶に残る4度の箱根路だった。「あれだけ沿道の方に応援してもらえるというのは普通のロードレースではない。お祭りのような雰囲気は楽しめた」と、力を出し切った4年間を思い返す。