日本の長距離界を引っ張り続ける
足跡を振り返れば、「箱根から世界へ」を体現した一人といえるだろう。ただし、本人はその考え方に違和感を隠さない。
「競技的な話でいうと、箱根から世界につながるものはないと思っている。駅伝は世界的な競技ではないし、20キロという距離がみんなに必要かというと、そうでもない」と言い切る。
学生時代はトラックで世界を目指していただけに、駅伝に過度の注目が集まることには、常に疑問を呈してきた。
その一方で、「プロになって活動しやすかったのは、箱根駅伝を走った影響も大きい。箱根駅伝は名前を売る場としてプラスになるのは間違いない。アスリートはそれをうまく活用していかないといけない」と、独自の箱根駅伝の価値観も披露する。
学生時代、世界の強豪が集まるナイキ・オレゴン・プロジェクトについて、「見に行きたい。チャンスがあれば入りたい」との思いを募らせた。その希望を受け止めたナイキジャパンが、米国のナイキ本社と交渉し、夢を実現してくれた。
それは確かに、箱根駅伝での活躍で得られた知名度に対し、スポーツメーカーが価値を認めたという側面もあるだろう。
自らの感性に従い、強くなるための道を、常に迷い無く切り開いてきた。
一度引退した後も、22年には電撃復帰。
「指導や普及活動だけでなく、プレーヤーとして走りで引っ張っていけたら。シックス・メジャーズ(世界6大マラソン)や世界大会で、しっかり結果を残すことに集中していきたい」と宣言し、唯一無二の存在感を発揮し続けている。
その言動は、多くの後輩たちにも刺激を与えている。長距離界のオピニオンリーダーは、信念に満ちた走りと言葉で、まだまだ日本の長距離界を力強く引っ張り続ける。
※本稿は、『箱根駅伝-襷がつなぐ挑戦』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『箱根駅伝-襷がつなぐ挑戦』(著:読売新聞運動部/中央公論新社)
2024年に第100回を迎える箱根駅伝。ライバルたちの熱い競り合い、逆境からの栄冠、番狂わせの力走……胸躍る勝負の歴史をつづる。