10月14日に第100回箱根駅伝の予選会が行われました。昨年まではコロナの影響で叶わなかった沿道での応援も、今年から解禁に。これまでさまざまなドラマが繰り広げられてきた箱根駅伝。記念すべき第100回を前に、これまでの箱根駅伝で活躍した選手のエピソードを紹介します。今回は、1993~96年に出場した渡辺康幸選手とステファン・マヤカ(=現:真也加ステファン)選手。渡辺選手は、高校までの自分を振り返り「ライバルはいなかった」と言っていて――。
渡辺康幸(早稲田大学)VS ステファン・マヤカ(山梨学院大学)
テレビ中継によって、箱根駅伝の人気がお茶の間に浸透していった1990年代。最大のスターは早大の渡辺康幸だった。長髪を弾ませ、異次元のスピードで他校のランナーたちを抜き去る姿は、箱根路を走るたびに世間の注目を集めた。
そんな渡辺の箱根デビューは93年大会。高校総体2冠、国体1万メートル王者の超新星として注目され、前評判通りの走りを見せた。「花の2区」に登場し、区間2位の力走でチームを8年ぶりの総合優勝に導いた。
しかし、2区で渡辺を上回ったのも1年生だった。ケニア出身で山梨学院大のステファン・マヤカ(現在は日本国籍を取得し真也加ステファン)。二人は高校3年時、名古屋で出会っていた。その頃から、渡辺が「大学でライバルになる」と見込んだ相手だった。
当時の渡辺は向かうところ敵なし。自ら「高校ナンバーワンでやってきて、かなり抜けた存在だった。ライバルはいなかった」と振り返るほどの実力だった。高校3年の春、マヤカとの初レース。ジュニア世代の大会で、二人は5000メートルに出場した。
レースでは、当時山梨学院大付高生だったマヤカが、終盤まで先頭を引っ張った。最後は渡辺が逆転して勝ったものの、そのスピードには衝撃を受けた。
この頃、山梨学院大では初の留学生ランナー、ジョセフ・オツオリが箱根路を沸かせていた。渡辺は「すごい選手がいるな、と思った。彼がオツオリさんのように箱根を走れば、大学でライバルになる」と直感した。