良き友
エンジとプルシアンブルーのユニホームが覇を競った時代を振り返り、「マヤカ君には絶対負けないと思い、強くなれた。(2区を)並んで走ればもっといいタイムが出たかな」と話す。
マヤカにとっても、渡辺とのつばぜり合いは忘れられない思い出になった。「渡辺君ら、メンバーがそろっている早稲田には負けたくないという気持ちは強かった。箱根で頑張ってテレビにもたくさん出て、皆に名前を覚えてもらえた」と笑う。
二人は当時から良き友でもあった。最後の箱根を終えた後。渡辺が山梨学院大の寮に電話して飲み会に呼び出すと、「特急で来たよ!」と人懐っこい笑顔でマヤカは東京へやってきたそうだ。
「お前には負けたくなかったとか、そういう話には不思議とならない」。渡辺が早大監督を経て住友電工監督に、マヤカが桜美林大監督になった今も、時折一杯酌み交わしながら、選手育成の夢を語り合う。
※本稿は、『箱根駅伝-襷がつなぐ挑戦』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『箱根駅伝-襷がつなぐ挑戦』(著:読売新聞運動部/中央公論新社)
2024年に第100回を迎える箱根駅伝。ライバルたちの熱い競り合い、逆境からの栄冠、番狂わせの力走……胸躍る勝負の歴史をつづる。