12年の5区で往路4連覇を右手でアピールしてゴールする東洋大の柏原(写真:読売新聞写真部)
10月14日に第100回箱根駅伝の予選会が行われました。昨年まではコロナの影響で叶わなかった沿道での応援も、今年から解禁に。これまでさまざまなドラマが繰り広げられてきた箱根駅伝。記念すべき第100回を前に、これまでの箱根駅伝で活躍した選手のエピソードを紹介します。今回は、「新・山の神」と呼ばれ、2009~12年に出場した柏原竜二選手です。柏原選手は「主将らしいことは何一つしていない。他の4年生がしっかり考えて行動してくれるから、自分の走りに集中できる」と言っていたそうで――。

「新・山の神」、柏原竜二 

4年連続で5区区間賞を獲得し、そのうち3回は区間記録を更新。東洋大を3度の総合優勝に導き、柏原竜二は「新・山の神」と呼ばれた。

「毎年同じ道を走っているようでも、その年その年で正解は違うもの。4年間、ちゃんと正解を導き出すことができた」。天候、体調、レース展開、全て違う4年間でも、ベストな走り方を選択したと振り返る。

1年目は怖いもの知らずで、序盤からハイペースで突っ込んだ。首位に4分58秒差の9位でたすきを受け取ると、前を行く走者を次々と追い抜き始めた。佐藤尚監督代行が「給水をし損ねた」と笑うほどの驚異的なペースで8人を抜き、出場67回目の伝統校を初の往路優勝に導いた。

「更新は不可能」とさえ言われた順大・今井正人の区間記録を47秒も短縮。その正月に区間新で走る初夢を見たと言い、それが現実となったことに本人が一番驚いた。「時計の間違いか、奇跡か」と話す姿は初々しかった。

この年の東洋大は部員の不祥事で関東学生陸上競技連盟が出場の可否を検討する事態となり、川嶋伸次監督が引責辞任することなどで出場を認められた経緯があった。

選手にとっては競技に集中することが難しい状況だったが、そんな嫌な空気をルーキーの快走が振り払った。復路も制した東洋大が初の総合優勝を果たし、柏原は金栗杯(最優秀選手賞)に輝いた。この走りで一躍、時の人となった柏原は、順調に成長を続けた。

2年目は先頭と4分26秒差の7位でたすきを受け取ると、中盤までに6人を抜き去った。「前回の自分に負けるのだけは絶対に嫌」と、終盤も太ももをたたいて気合を入れ、自らの区間記録を10秒更新した。総合2連覇に貢献し、金栗杯にも2年連続で選ばれた。

一転、3年目は不調に苦しんだ。「僕が不調の時にチームが支えてくれたので、この日だけは逆転して帰ろうと覚悟を決めた」。3位で走り始めると、2人を抜いて3年連続で往路優勝のゴールテープを切った。

しかし、東洋大は復路で早大に逆転を許し、21秒差で総合2位に甘んじた。チームメートが涙を流す中、エースの目に涙はなかった。「泣いて悔しさを晴らすのではなく、走って晴らしたい」と、きっぱりと言い切った。