4年目の箱根

集大成となった4年目の箱根駅伝。柏原は初めてトップでたすきを受け取った。中継所で仲間を待つ表情は満面の笑みだった。

「うれしくて、走る前に涙が出そうになった」。追う対象がいなくても、攻めの走りは変わらない。「とにかく後ろとの差を、どれだけ引き離せるかだ」。

柏原竜二の箱根駅伝成績<『箱根駅伝-襷がつなぐ挑戦』より>

落ち着いて走り始め、5キロの通過タイムは4年間で最も遅かったという。その分、終盤に余力を残した。登り切る頃、運営管理車の酒井俊幸監督から「区間新記録を狙えるペースだ。1秒をけずり出していくぞ」と声がかかった。

「よし。転んでもいいから、どんどん攻めよう」。苦手としていた最後の下りでも、スピードを緩めなかった。自らの区間記録を29秒短縮し、何度も右拳を突き上げて往路4連覇のゴールに飛び込んだ。

その前年の2011年3月、故郷の福島県は東日本大震災と原発事故で未曽有の被害を受けた。往路の優勝インタビューで「僕が苦しいのはたった1時間ちょっと。福島の人に比べたら全然きつくなかった」と語った。古里に思いをはせながらの力走だった。

大差の1位でも1秒にこだわった主将の走りは、さらなる相乗効果をチームにもたらした。東洋大は復路でも4人が区間賞を獲得。 10 時間51分36秒の驚異的な大会新記録で2年ぶり3度目の総合優勝を果たした。

21秒の借りを返そうと臨んだ大会で、2位の駒大に9分2秒差をつけた圧勝だった。柏原は3度目の金栗杯を受賞し、有終の美を飾った。

4度5区を走ったが、自身の状況もチームの状況もそのたびに違った。気象条件も違う。

「アプローチの仕方は人それぞれだと思うし、正解もないと僕は思っている。自分の中での正解を見つけられたのが、強かった理由なんじゃないかな」。その都度、自らの感性に従いながら、最適解を導き出した。