13年、5区で東洋大を抜き、猛追した早大も突き放してトップに立った日体大の服部翔大(写真:読売新聞写真部)
まもなく第100回箱根駅伝が開催されます。昨年まではコロナの影響で叶わなかった沿道での応援も、今年から解禁になりました。これまでさまざまなドラマが繰り広げられてきた箱根駅伝。記念すべき第100回を前に、これまでの箱根駅伝でのエピソードを紹介します。今回は、2013年に総合優勝を果たした日本体育大学のエピソードです。当時3年生の主将、服部翔大選手は「事前に何の相談もなかった。とにかくびっくりした」と言っていて――。

19位の大敗

2012年、日体大監督の別府健至は顔を覆いたくなる気持ちで運営管理車に乗っていた。浮上のきっかけをつかめず、大学史上最低の19位。復路では繰り上げスタートとなり、初出場からつながっていたたすきが64年目で途切れる屈辱的な敗戦だった。

沿道に大学を応援するのぼりを見つけるたび、耳をふさぎたくなった。悔しさと恥ずかしさが募った。

東京・大手町のゴール付近。ビルの谷間にある集合場所に向かう途中の交差点で、当時2年生だった服部翔大と鉢合わせした。

別府はチームを根底から変える改革に乗り出す覚悟を決めていた。並んで信号が変わるのを待ち、服部の顔を見ずに言った。「お前が次のキャプテンだ」

「事前に何の相談もなかった。とにかくびっくりした」と服部は当時の心境を振り返る。屈指の名門、日体大では最上級生が主将を務めるのが慣例だ。ハレーションが起こることも別府は予期していた。

服部と共に集合場所に着き、ミーティングが始まる。別府が新3年生の服部を主将とする方針を全員に伝えると、部員の表情に驚きと困惑が広がった。

服部は「自分で大丈夫だろうか」という不安な心持ちで成り行きを見守っていた。「これまで通り最上級生に」と訴える4年生もいた。

別府の決断は決して思いつきではなかった。「何かを変えなければいけない状況で、服部は一番の走力があり、言葉で周囲を引っ張れる。もうこれ以上ないという負け方をした中で、4番でエースがキャプテンを務めるくらいじゃないと、現状を変えられないと思った。大敗で見返してやるぞと腹をくくれた」。雪辱への意志を込めていた。