自立した主将

最終学年となり、大八木コーチが監督に就任。田中は監督から主将に指名された。監督が見込んだのはその「負けん気の強さ」だ。情熱家の監督が言うことでも鵜呑みにせず、自分やチームの意見を伝えた。

イエスマンではなく、選手の代表として自立している選手を主将に任命したのは、大八木監督一流のマネジメント術だった。大八木監督は田中にメンバー選考の相談をするほど信頼を寄せていた。

駒大4連覇(2002~05年)に貢献した主な選手<『箱根駅伝-襷がつなぐ挑戦』より>

田中は主将就任のあいさつで、チームにこう伝えた。「4連覇を狙うんじゃない。次の1試合に必ず勝つ。そういう気持ちで戦おう」と。

その気の強さが空回りしたこともあった。主将になって約1か月後、田中は監督室に呼ばれ、「お前は後輩に厳しすぎる。このままなら代えようと思う」と伝えられた。

田中には思い当たる節があった。チームを強くしたいという気持ちが強い余り、言葉遣いが厳しくなっていたのかもしれない。監督がささいな言動まで見ていることに改めて気づいた瞬間でもあった。

「改めますので、見ていてください」。チャンスをもらい、より一人一人の性格やチーム内での立ち位置を注意深く見るようにした。学年で鍵になる選手に「次の試合、頼むよ」と声をかけ、発奮して成績が伸びると、仲の良い選手も引っ張られるようにして成長した。

当時の大八木監督に、4連覇への不安がなかったわけではない。選手にはことあるごとに「お前たちは負ける悔しさを知らない。それが不安だ」と伝えていた。敗戦から学ぶことは多い。00年に初優勝後、01年の2位でチームとして得た教訓は大きかった。

負けることで自身を省みた経験、また這い上がろうとする執念、箱根に関してはそういったものがない。それが大八木監督の懸念材料だった。

田中は大八木監督がそう言うたび、「僕たちは確かに負ける悔しさを知りません。でも、勝つ喜びは誰よりも知っています」と応じた。就任時のミーティングで語りかけたように、4連覇を目指すのではなく、目の前の試合に勝つことに集中する。そのためにも、箱根の連勝記録や4連覇すれば史上何校目かといった情報は、頭に入れなかった。