「僕は本当アイドルだったし」
タキ 細くてヒョロヒョロで、そのあと結婚して、もう本当にアイドルちゃんよ。
まさし アイドルですよ。その頃に、加藤シヅエさんのところに行って歌うっていうだけで、なんかすごく緊張したなぁ、僕。
タキ 東京駅だったかな。スマホなんか当然ない時代。「今、東京駅着いて、これからそちらへ向かいます」ってお電話いただいて、「みんな、まさし君が東京駅着いたって。こっち向かうって」と言って(笑)、母の親戚のおじいちゃん、おばあちゃん世代がそれこそみんな待っていて。
まさし たくさんの人がお見えだったね。
タキ そう。うちの玄関のエレベータホールまで靴が並んで。
まさし シヅエ先生、おいくつでした?
タキ 1982年だから85歳。
まさし まだ全然若かったね。かくしゃくとしてらした。
タキ そう、そう。
まさし 僕は本当アイドルだったし。
タキ そう、そう(笑)。
まさし でもまあ、『関白宣言』のご縁で、ほかにシヅエ先生とお目にかかるのは安比高原だけだったから。
タキ そうです。もう毎年お正月にね。
まさし 安比グランドの総支配人を僕のポンユーがやってたんで……。『紅白歌合戦』が終わったら、ほぼ寝ないようにして朝一で安比へ行って、2日の日の夜にお客さん相手にライブをやって。1日に柳家小三治さんが落語、2日に僕がライブというようなことをやっていました。
タキ ホテルのオーナーだったリクルートの江副(えぞえ)浩正さんもまだお元気でしたね。
まさし そうそう。江副さんがえらいさだまさしフリークでね。自分が『フレディもしくは三教街』って歌をどうしても歌いたいと言いだして、ボイストレーナーについてね。それで、持ち歌は『フレディもしくは三教街』だけだったんだけど、お抱えピアニストを連れてね、現れては『フレディもしくは三教街』を僕の前で歌ってくださるんだけど……。
タキ (笑)
まさし 「どう?」と言われたときの、あの返事のしにくさね。「いやぁ、素晴らしい。ああ、素晴らしい」。
タキ 言ったの?
まさし 言いましたよ。「いやぁ、その熱意が」って。
タキ あ、そうそう、その一言、それがあって納得(笑)。