「加藤家ですがる人がいなくなって(笑)」
まさし 熱意が嬉しい。まあでも、あのときにシヅエ先生とお目にかかっても、じっくりお話をすることもなく、本当にご挨拶する程度でした。
タキ そうね。で、私たちはわりとまさし君のご両親とよくお話しさせていただいて。
まさし そうですよね。
タキ はじめの頃はまさし君のコンサートに同行していたけれど、私も仕事が忙しくて海外にしょっちゅう行っていたから、やがて共通の友人に母を連れて行っていただいて。でもね、いつも行くと、握手したっていうその手とプログラムを、大事に枕の下に入れて眠りにつくの。
まさし 僕、シヅエ先生のアイドルだったのね。
タキ そうそう。そういうご縁で、私もまさし君と親しくなって……。
まさし タキ姐とはシヅエ先生が亡くなってからですよ。もうタキ姐しか、加藤家ですがる人がいなくなって(笑)。それまではやっぱりシヅエ先生がおいでになったからシヅエ先生と僕というつながりで、シヅエ先生が亡くなってから「タキ姐」って言えるようになった。
タキ 1983年に長崎の詩島で執り行われたまさし君の結婚式も、母は参列させていただいたけれど私は行ってないのよ。
※本稿は、『さだまさしが聞きたかった、「人生の達人」タキ姐のすべて』(講談社)の一部を再編集したものです。
『さだまさしが聞きたかった、「人生の達人」タキ姐のすべて』(著:加藤タキ・さだまさし/講談社)
さだまさしが、長年敬愛してやまない「タキ姐」こと加藤タキに、聞いてみたかったことをすべて聞いてみた。
日本を代表する社会運動家・女性初の代議士として活躍した母・シヅエの娘として生まれ、世界的な大物アーティストたちと個人的親交を結び、さらに78歳のいまも、淡々と飄々と、そして凛として生きる。そんな彼女が伝えるとらわれず自由に生きるヒント。