大谷吉継本陣へ

続いては大谷吉継の陣跡へ。

吉継と言えば三成の盟友であり、戦いが無謀であることを三成に説きながらもやむなく参戦、最後には自刃したという”義”に生きた武将。陣跡近くには吉継の墓もあるそうで、関ヶ原に来たらぜひ訪ねたいスポットの一つです。

実際にたずねてみると、陣は若宮八幡宮近くの急斜面に作られており、近辺は要害の地となっていたようです。陣跡について、本郷先生は「陣がどこを向いて作られていたのか、よく観察すべし」と説明されていました。

なお吉継陣跡と墓周辺は、基本的に山道。犬山城の険しい天守閣、そして石田三成陣跡を経て、すでにパンパンになった太ももにまた新たな難関が…。

大谷吉継の陣跡付近で見かけたきのこ。まさに山(写真:婦人公論.jp編集部)

ちょっとしたトレッキングとも言えそうな状況で、再び息を切らしながら歩くことしばらく。森の中を進んだ先に吉継の墓がありました。

山中にありながら墓はきれいに整備されており、さすが吉継、21世紀となった現代でも多くの人から尊敬を集めていることがよくわかります。

きちんと整備されていた大谷吉継と吉継の介錯人・湯浅五助のお墓(写真:婦人公論.jp編集部)

また陣跡からは徳川勢…ではなく、当初は石田勢だった小早川秀秋が陣を構えた松尾山を正面に捉えることができました。

よく見ると、遠方の山の頂上に小早川の旗が立っているのが分かります。問鉄砲でせかされても、あの山から降りるのは大変そう(写真:婦人公論.jp編集部)

実際、吉継は当初から秀秋の裏切りを見抜いていた、もしくは敵とみなしていた、と言われているそうです。すごい。