家では裸でいることを好んだ八郎。主宰する詩の勉強会「木曜会」の会報『木曜手帖』の編集作業にて(写真提供◎佐藤愛子さん)

母の姿をうたい続けた

昭和33年に始まったドラマ『おかあさん』のために書いた詩は3冊の詩集になりベストセラーに。母についての詩は500篇に及ぶそうです。

――世間には受けていたようですけれど、あれはどれだけ八郎が自分の体験や心の底からの想いで作ったものか。想像力を使って創作したものが多かったんじゃないかと私は思います。作家なんだから、それくらいのことはできますよ。

八郎は実母と離れて暮らす時間が長かった。15歳で別れています。八郎の悪さにお母さんはそれはもう泣かされたそうですよ。八郎だけじゃなく、息子たちはみんな暴れたり落第したりして、母を苦しめました。

その頃の演劇や作家の世界の常で、父は女出入りの多い人でした。八郎の母親は父のわがままを好きにさせておいて、グチをこぼすばかりだったそうです。

「ちいさい母のうた」という八郎の詩があります。実際に体の小さい人だったそうですが、八郎には、その姿がある種の悲しみをともなって蘇るのでしょう。

哀れみや悔恨、そして理想の母の姿。そんなものを駆使して、たくさんの母の詩を書いた。そう思うと、私には「おかあさん」のブームは、ある種のイリュージョンのように思えます。