「朝起きたら練炭に火をつけ、お湯を沸かし、竃(かまど)で飯を炊く。風呂を沸かすことも含め、全部、私がやっていた」(撮影:本社◎奥西義和)
東京大学名誉教授で医学博士の養老孟司さん。著書『バカの壁』は450万部を超えるベストセラーに。今年で86歳、これまでを振り返り「人生は、なるようになる」との結論にたどり着いたといいます。養老さんが思い出す、戦後の生活とは――。

小学4年生、戦後の生活

本土決戦用に市内の穴に隠してあった高射機関銃などが外に出され、妙本寺の山門脇に置かれていたことも戦後の思い出です。

その上に乗って遊んだよ。鬼畜米英のスローガンも消え、鎌倉には、米兵がよくやってきて、チョコレートをくれた。

戦後の食糧難はひどくて、すいとんやサツマイモを薄く切り、天日で干したものばかり食べていたから、サツマイモはもう見たくもないねえ。においがダメなんですよ。

カボチャは煮ただけのものを嫌というほど食べた。

1946年5月19日の食糧メーデーには25万人が参加。プラカード「朕(ちん)はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね」が不敬罪で起訴される。

当時、電気はニクロム線の電熱だからすぐに切れる。それで朝起きたら練炭に火をつけ、お湯を沸かし、竃(かまど)で飯を炊く。風呂を沸かすことも含め、全部、私がやっていた。

そういえば、しょっちゅう近所の猫がうちの竈に入って、残り火で焼け焦げつくっていたなあ。薪割りも小学校四年生ぐらいからした。日常生活で体を動かすのを当たり前だと思っていたから。それで今も元気なんじゃないの。