もう1本のニンジン

そこでもう1本、切り札のニンジンです。

「なら、お正月のお酒とおせちを目標に、頑張ってリハビリをやらんといけんね。家に帰れなかったら、お茶や謡も教えられんし。子どもたちも待ってるよ、お母さんが帰ってくるのを」

その瞬間、母の顔にかすかですが、「はっ」とした表情が浮かびました。そして一呼吸おくと、自分に言い聞かせるように言ったのです。

「そうだ、子どもたちが待ってる」

「そうだよ。だから先生からリハビリ開始のOKが出たら歩く練習を始めて、お正月には家に帰れるようにしようよ」

「うん、そうだね。頑張る」

母の治りたい気持ちを刺激するニンジン作戦は、見事に成功しました。

介護をする側もされる側も、前向きな気持ちでいられるようにするには、何かしらご褒美(ほうび)が必要だと思うのです。人間誰しも目の前にご褒美があれば、やる気が出るものです。

母の場合は、それがお酒であり、子どもたちに教えるお茶や地域の人たちに教える謡であったわけです。