田代がその男に言った。
「トラブル? 私にとっちゃ、あんたがトラブルだよ」
阿岐本が田代に尋ねた。
「どなたです?」
「区役所の斉木(さいき)さんです」
「ちょっと……」
斉木が田代に言った。「こういう人たちに、気安く名前を教えないでくださいよ」
「何でだ? 別にいいだろう。あんた、普段は役所で名札を付けているじゃないか」
阿岐本が言った。
「お名前をうかがったからには、私のほうも名乗らねばなりませんね。阿岐本と申します」
斉木が言った。
「どこの阿岐本さんですか」
挑むような口調だ。虚勢を張っているのだろう。
「綾瀬の阿岐本です」
斉木は所属している会社など、素性を尋ねたのだろうが、阿岐本は住所をこたえた。
「田代さんに、何の用です?」
「いろいろとたいへんな思いをされているそうなので、お話を聞こうと思いまして……」
「話を聞いてどうするんです?」
「どうもしません」
その一言は、日村にとっては朗報だ。だが、阿岐本の言葉には続きがあった。
「今のところは」
「田代さん。こういう人たちと関わっちゃだめですよ」
田代が言った。
「あんた、事情も知らないで、そういう言い方は失礼だろう。私にとっちゃ、あんたのほうがよほど迷惑なんだ」
「そう言われてもですね、私どもは住民から苦情があったら対処しないわけにはいかないんです」
「今日は何しに来たんだ?」
「調査ですよ」
「何の調査だ?」
「文化庁からのお達しで、休眠している宗教法人を報告しなければなりません」
「休眠だと? うちはれっきとした寺だぞ」
「わかってますよ。だから、確認に……」
「今さら何の確認だ。さあ、帰ってくれ」
斉木は、その場でしばらく逡巡(しゅんじゅん)していたが、やがて言った。
「わかりました。今日は引きあげます。でも、鐘のことについて話し合わなければなりません。それについてはまた、後日……」
斉木が姿を消した。