亭主関白な夫との結婚生活
今でこそ関西弁が板についた私ですが、もともとは東京・月島の生まれ。7人きょうだいの3番目です。3歳のときに終戦を迎えました。当時はどこの家もそうだったけれど、うちも貧しくてね。いつもお腹を空かせていました。
中学卒業後は、商社の電話交換手に。ある日、築地で電車を待っていたら、「お茶を飲みませんか」と見知らぬ男性に声をかけられたの。それが、7歳年上の夫との出会い。彼ときたら、初デートの待ち合わせに2時間も遅れてきたんですよ。失礼しちゃうでしょ。
でも、一流商社に勤めるエリートばかりに囲まれていたせいか「何なの?この人」と、逆に気になって。家族に紹介したら案の定、大反対されました。今思うと、それで私、意地になっちゃったのね。17歳のとき、家を飛び出して彼の待つ大阪へ。駆け落ち同然の結婚でした。
貧しい生活だったけど、それが当たり前だと思っていたから苦にはならなかった。好きな人と一緒になれてうれしかったしね。
でも、自分がそんなだったから、娘たちが成人して恋人を連れてきたときは、「まあ、素敵!こんな人と結婚できたら幸せねえ」と大げさに褒めちぎりました。反対すればするほど、意地になるって知っているから(笑)。おかげで娘たちは、冷静な判断ができたんじゃないかしら。
夫は、真面目でよく働く人だったけれど、絵に描いたような昔気質の亭主関白。お弁当のおかずが一つでも前日と同じだと、「作り直せ」って電話してくるぐらい厳しかった。「女は外に出ると変な知恵がつく。家にいろ」という考えだったから、外で働きたくても働けなくてね。少しでも家計の足しにと、それこそいろんな内職に精を出しました。
ボランティアに関してだけは何も言われなかったので、PTAや公民分館の活動にせっせと参加して。でも、それがよかった。公民分館の主事を任されているうちに、行政サービスに詳しくなれたから。
今、お母さんたちの悩みを聞きながら、「これは専門家につないだほうがいいな」と感じると、すぐに相談先を紹介できるのも当時培った知識のおかげ。どんな経験も決して無駄にはならないよって、一途な思いで大阪に向かった若き日の不安な私に教えてあげたいぐらいです。