人生を変えた保育士という仕事
54歳のとき、近所の人に誘われて保育園でパートを始めました。どうして急に外で働けるようになったのか不思議でしょう?実は、夫の定年と重なったの。思い切って「これからは、私が働きましょうか」と聞いてみたら、「うん、いいね」ですって。あっさりOKが出たもんだから、聞いた私がびっくり仰天(笑)。
家のローンがまだ残っていたのもあって、お父さんも不安だったのかもしれませんね。このチャンスを逃したら次はないと、すぐさま働きに出ました。
でも、やる気満々だったのは、そのときまで。現実は想像以上に厳しくて。午後3時間だけのパートとはいえ、生後6ヵ月からの赤ちゃんを預かるのは大変。あっちにお漏らしする子がいれば、こっちに泣きじゃくる子がいる。常に走り回って、汗びっしょり。フルタイムの先生方がいかに激務か身に染みてわかり、頭が下がる思いでした。
本当はすぐにでも辞めたかったけれど、紹介してくれた人の手前、1ヵ月だけ辛抱しようと踏ん張ったの。そしたら、いつの間にか「石浜せんせーい!」と慕ってくれる子どもたちが、かわいくてたまらなくなって。
実は私、かなりの教育ママだったんです。2人の娘が、「お母さん、般若みたいな顔してた」って言うほど怖い母親でした。テストでいい点をとってきても褒めることもせず、「どうしてここができなかったの?」って責めていたぐらい。それが間違いだと気づかせてくれたのが、保育園の子どもたちだったんです。
どの子も、お母さんがお迎えに来て、抱きしめてくれるのを待ちわびているの。それはもう、いじらしいほど一途に。お母さんが笑顔で腕を広げ、「さあ、帰ろう」と抱き上げた途端、泣いていた子もピタッと泣き止んで、何ともいえない笑顔になる。
このとき、「ああ、親とは、子どもを抱きしめる存在のことなんだ」と教えられて。今さらながら、娘たちに「ごめんね」と謝りたくなりました。そして、私なりにがむしゃらに2人の娘を育ててきたけれど、自己流のやり方や知識に頼らず、一から保育を勉強したいと思うようになったんです。
ある日、保育士国家試験のポスターを見ながら、「私でも受かるかなあ」とボソッとつぶやいたら、園長先生が、「あなたなら大丈夫よ」と。その一言に背中を押されて、受験しようと決めました。パートを始めて10年目、63歳のときです。