権威、威光

例に挙げるべきは何といっても太平洋戦争でしょう。多くの前途ある若者が日本国と天皇陛下という権威を信じ、散っていった。

彼らの勇気や行動は、まさに驚嘆と敬服に値するものだし、彼らの犠牲があったからこそ今の私たちがある、という思いは年を取れば取るほど(つまり「死」を自然に意識することが多くなって)強くなります。ふと気付くと、靖国のそばを通るときには自然に頭を垂れるようになっていました。

一方で、私は研究者です。

なぜ日本の軍隊だけは「玉砕」ができたのか?

この重い問題を掲げたときに、それを単純に日本への愛、といったものに丸投げしてしまうわけにはいかない。絶対に最後のところは解明できないとは分かっていても、なるべく冷静な分析をして、当時の人々の心情を理解するよう努力すべきです。

そうした姿勢は、中世史に対しても変わりません。足利将軍の権威とか、豊臣家の威光とか、そうしたものを無批判に信じるようなことは、厳に慎みたいと念願しています。

それはなぜか? 関ヶ原前後の大名たちを、具体的な事例として考えてみましょう。