足利将軍家の権威と上杉謙信

話は少し逸れますが、戦国時代における足利将軍家の権威について。

ある研究者たちは「朝廷が征夷大将軍に任じている以上、将軍は将軍として抜きがたい権威を有していた。京都にいようが、近江に脱出しようが、備後の鞆の浦で保護されていようが、将軍は将軍に相違なく尊貴な存在である」と定義していました。

そうした考えから、「信長包囲網」「桑実寺幕府」「鞆の浦幕府」といった発想が生まれます。

それに対して有効な反論はないか、とぼんやり考えていたところ、上杉謙信の生涯こそふさわしいのでは、と最近になって考えるようになりました。

謙信は足利将軍の権威を重んじ、足利幕府が構想する政治秩序を守ろうとしました。名門・上杉の名跡を継いで、関東を治める「関東管領」の地位に就くや、彼は私心なく、忠実に責務を果たそうとします。

でも上杉勢が三国峠を越えてやってくると関東の諸将は平身低頭、挨拶に来るのですが、越後に帰国すると旗印を変えて北条と意を通じてしまう。それが幾度となくくり返されるうちに、謙信は権威の空虚さを思い知ったのではないでしょうか。