励まし合って切符を掴んだ

一二三は、「詩がシニアの大会で優勝し始めてから、東京五輪で2人揃って金メダルを、と思うようになった」と語っている。筆者は、五輪内定に至るまでの大会で励まし合う兄妹の姿を何度も目撃してきた。

17年、18年と一二三は世界選手権で2連覇。かつて親子で思い描いたように、「23歳という一番いい時に東京オリンピックが来る。絶対金メダル」と意気込んでいた。だが簡単ではなかった。

立ちはだかったのは4つ年上の丸山城志郎だ。19年11月のグランドスラム・大阪までの時点で一二三は丸山に3敗しており、「五輪は丸山」という空気が強くなっていた。丸山はグランドスラムで勝てば五輪内定。一二三は絶体絶命となったが、延長戦で勝利したことで、20年12月の丸山との代表決定戦に持ち越される。24分間の死闘の末、「大内刈り」でねじ伏せた一二三は、畳を降りて「ウォーッ」と吠え、歓喜の涙に暮れた。

妹の詩は同年2月のグランドスラム・デュッセルドルフで優勝し、すでに五輪内定を決めていた。兄の決定まで10ヵ月待つことになった詩は、「お兄ちゃんなら絶対に決めてくれる。支えたい」と話していた。一二三も「妹が先に決まって、絶対に負けられないという気持ちでやった」と振り返る。一二三の後ろにはいつも自分の背中を追い、同時に支える妹の姿があった。

話は遡るが、19年8月の世界選手権では一二三が丸山に敗れた。一方、この時、詩は優勝。一二三は「兄は情けなかったが妹はすごい」と妹を称賛したが、詩は兄を心配してか、浮かない表情だった。

逆に19年11月のグランドスラム・大阪で、詩はブシャールに敗れて、対外国人連勝がストップ。号泣する妹を、すでに優勝を決めた兄が必死に慰めた。

コロナの影響で東京五輪が延期、代表決定戦のスケジュールが変更されるなど、想定外の事態に見舞われながらも、兄妹二人三脚で掴み取った五輪への切符だった。