今のあたしのテーマは背中である。

アヤ先生は背中に蝶ツガイがついてるように、肩を、前後、左右と、パーツごとに動かせる(と見ているあたしは思う)。

でもあたしの背中は一枚板だ。しかもその下にあるあたしの本体に、ぴったりネジで留められてるみたいにくっついている。

「ひろみさんみたいにコンピュータに向かって前屈みでやる仕事の人はとくにこれっっ」と先生はあたしに両腕を回させる。

両コブシを握りしめ、肘を突き出して腕を曲げ、頭の上から頭の後ろ、首の方までねじり回す。すると胸が開いて、肩甲骨のつけ根が縮む。ウッホ、ウッホ、ウッホ、ウッホという先生のかけ声に合わせて、右、左、右、左とくり返すうちに、少しずつ、背中の板がはがれていったのだ。

そのとき大切なのは、シッポを入れておくこと。

シッポですよ。昔、ありました。人間になるずっと前。そこを意識して、今でも自在に動かせるように思い浮かべるわけ。

このシッポを、お尻の下に、ずいと入れ込むわけですな。腹筋に力をこめて、身体を立て、膝を曲げて四股を踏む体勢になるとき、シッポを入れ込む。腹筋と、ふとももの表筋と裏筋がきゅーっと鳴く。

「そうそう、その形! 足が〈家〉の形になってるでしょ」とアヤ先生が叫ぶ。

鏡に映る足の形。ふとももが屋根だ。膝から足首までが外壁だ。足がしっかり家型になって重たい身体を支えている。これがまた、家庭を壊し、家族をなくしてきた人間としてはいわく言いがたい複雑な感情におそわれるのだが、身体的にはそういうことだ。


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米国人の夫の看取り、20余年住んだカリフォルニアから熊本に拠点を移したあたしの新たな生活が始まった。

週1回上京し大学で教える日々は多忙を極め、愛用するのはコンビニとサイゼリヤ。自宅には愛犬と植物の鉢植え多数。そこへ猫二匹までもが加わって……。襲い来るのは台風にコロナ。老いゆく体は悲鳴をあげる。一人の暮らしの自由と寂寥、60代もいよいよ半ばの体感を、小気味よく直截に書き記す、これぞ女たちのための〈言葉の道しるべ〉。