大坂の陣における家康の心象

大坂の陣において、家康は「これで徳川は安泰だ!」と嬉々として豊臣家を潰したのか。いや、「秀吉どの、すまん。貴殿との最後の約束、秀頼どのの命は助ける、は果たせなんだわ」と内心では涙していたのか。

そこはやはり分からないのです。もしも「大坂落城時の徳川家康の心象について」なんて論文を研究雑誌に投稿したら、「うちではこういうのは扱っていないので・・・」と返却されることでしょう。

けれども、歴史を考察する醍醐味というものは、それと別のものとしてあるわけで、その分野で活躍されているのが歴史小説家の皆さんです。

ですから、「司馬遼太郎の歴史小説なんてウソだらけ」などとフィクションを軽侮する風潮に接すると、ぼくは頭を抱えます。

研究とフィクションは野球でいうと外野と内野というふうに、守備範囲が違うもの。歴史認識・歴史考察という意味では同じ作業なのです。もしも司馬遼太郎先生が史料の読解を掌中に入れ、歴史学研究の道を歩んだら、偉大な学者になられていたことでしょう。