豊臣家が生き延びられた可能性について考える
そこで、そのままでは歴史研究にできないのを前提として、豊臣家が生き延びられた可能性について、考えていきましょう。
大坂の陣が始まる時点での、豊臣家の実力はどんなものだったか。挙げていきます。
(1)天下人、秀吉の正統である
(2)当時の第一の先進地帯、大坂を本拠とする
(3)難攻不落の大坂城を居城とする
(4)領地は65万石(前田、島津につぐ全国第三位)
(5)大坂の陣を戦うだけの備蓄がある
うーん、これはもう、数え役満ですね…。
いや、冗談はおいておくとして、歴史的に見て、権力というものは、前代の権力を徹底的に潰しておきたいものなのです。でも、いろいろと面倒なことが作用して、完全に存在を滅することができない場合には残しておく、ということですね。
情実が絡むことは・・・あるのかな?
秀吉が清洲会議のある意味主役だった三法師ぎみを、岐阜13万石の大名・織田秀信として生かしておいたのは、それでしょうか。