老舗・桜山ホテルで、憧れのアフタヌーンティーチームで働く涼音。
甘いお菓子を扱う職場の苦い現実にヘコみながらも、自分なりの「最高のアフタヌーンティー」企画を作り上げることができた。
そして、最初は対立していたシェフ・パティシエの達也との距離も変化していく。

――そこから3年、涼音に大きな変化がおとずれる……。

 

「お父さん、今更、なに言ってるの。達也はパティシエなんですよ」
 さすがに達也の母がたしなめたが、達也の父はとまらなかった。
「パティシエだかなんだか知らないが、要するに菓子職人だろう? ホテル勤めならともかく、個人の菓子店なんかで本当に経営が成り立つのか? 人様の大切な娘さんをいただくんだぞ。菓子店よりも、レストランのほうが、まだ収入だって安定するだろうが」
 またしても、いただく、だ。
 この人たち、私をものかなにかだとでも思っているんだろうか。
「涼音さんだって、そのほうが安心でしょう? どうせ、料理も作るっていうんだし」
 いきなり矛先を向けられ、むっとしかけていた涼音は慌てて作り笑いを浮かべる。
「お義父(とう)さん。私と達也さんが作ろうとしているのは、フランスのパティスリーのようなお店なんです。本場のパティスリーはお菓子だけでなく、家で軽く食べるのに丁度いい、お惣菜も置いているんですよ」 
 仕事で疲れた帰り道に、一人では作れないちょっと凝ったお惣菜と美味しいケーキを買うことができたら、それだけで、その日の食卓は特別なものになるのではないだろうか。
 たとえば、嬉しい日はより華やかに。最悪な日だって、ほんの少しだけましに。
 丁寧に手をかけた総菜や、味も見た目も麗しいケーキは、日常にささやかな魔法をかける。
 それこそが、涼音が達也と一緒に目指そうとしているものだ。
「いや、うちの息子はこの通り、昔っから愛想の欠片もない男でね。涼音さんの内助の功がないと、なんにもできないと思うんですよ。だから、菓子ばっかりにこだわってる息子の夢に付き合う必要なんかありませんて。むしろ、こいつを尻に敷くぐらいのつもりで、引っ張っていってもらわないと」
 ちょっと待って――。
 達也の父に身を乗り出してこられて、涼音は焦った。
 内助の功? 夢に付き合う?
 達也の父は、根本からなにかを勘違いしているのではないだろうか。パティスリーは達也だけのものではなく、涼音自身のためのものでもあるのだが。
 そうでなければ、あれだけ憧れて入った桜山ホテルを辞めたりしない。大好きだったホテルで培ってきた経験と技量をより自由に試せると思ったからこそ、その先に進もうと決めたのだ。
「あ、あの、お義父さん……」
 涼音が誤解を解こうとしたとき、
「いやあ、飛鳥井さん。そんなふうに言っていただけるとは感激だなぁ」
 と、弘志が素っ頓狂な声をあげた。
「自分の好きなことばかりしていて、花嫁修業もろくにしてこなかったような娘ですが、頼りにしていただけて嬉しいです。おい、涼音。しっかり達也くんを支えるんだぞ」
 弱いくせに何杯もビールを飲み、昼間から真っ赤になっている顔を向けられて、涼音はほとほと閉口した。
「いやいや、遠山さん。結婚したら、女房が強いくらいのほうが、家庭は円満ですから。もちろん、我が家も例外ではないんですがね」
「うちもずっと、私は尻に敷かれっぱなしですよ、飛鳥井さん」
「結婚は女の幸せといいますが、男にとっては人生の墓場ですからな」
「いやあ、ごもっとも」
 二人の父親は顔を見合わせて、わはははと大笑いした。麻衣子と達也の母は、完全に白け切った顔つきで、黙々とすき焼きを食べている。
「で、籍を入れるのはいつなんだ? そのときには、涼音さんや遠山さんたちを、今度は地元にご案内しなきゃいけないぞ」
 達也の父が腕まくりした。
「そんな時間ないって」
 すかさず達也は遮ったが、それは逆効果だったようだ。途端に、達也の父が鼻息を荒くする。
「なにを言ってるんだ。式を挙げないってだけでもとんでもない話なのに、親戚への紹介もしないつもりなのか。入籍すれば、涼音さんは飛鳥井家の一員になるんだぞ」
 え――?
 今度ばかりは、鍋の上の涼音の手が本当にとまった。
 籍は、結婚する男女がそれまで属していた家族の籍から独立して新しく作るもので、入るものではない。ましてや、涼音が飛鳥井家の〝一員〟になるわけではない。
 この人だって、そうやって新しい籍を作って結婚したはずなのに、一体、なにを言っているのか。
「お父さん、飲みすぎだよ」
 達也の母がぴしゃりと言い放つ。
「来年、達也のお店が正式にオープンするなら、そこでちょっとしたパーティーでも開けばいいじゃない」
「そ、それもそうだな」
 ようやく達也の父が収まったが、涼音は腑に落ちなかった。
〝内助の功〟〝結婚は女の幸せ〟〝飛鳥井家の一員〟〝達也のお店〟……。
 当たり前のように放たれた達也の両親の一言一言が、胸の中に澱(おり)のようにたまる。頼みの綱の達也は、不機嫌そうに黙り込んでいるだけだ。ふと母と眼が合うと、きまり悪げに視線を逸らされた。 
 鍋の中で、スキヤキがぐつぐつと煮詰まっていく。

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