本当の悪人は、悪人の顔をしていない

「悲しみ」は「怒り」に変わり、それはやがて「憎しみ」へと変化する。膿んだ感情が破裂すれば、人は容易く鬼になることを私は知っていた。父が私にしていることを知った母は、父ではなく娘の私を憎んだ。

私は母にとって「守るべき存在」ではなく、「邪魔な女」だった。母に竹の定規で打たれるたび、私は母を鬼だと思った。だから、自分が誰かに対し殺意を抱くことに、さほど疑問を抱かなかった。鬼の子は、所詮鬼だ。そう思ったら、すべてがどうでもよくなった。

良く生きよう、と思っていた。両親とは違う道を、真っ当に歩もうと思っていた。幾度となく煮え湯を飲まされ、それでも刃を他者には向けず、罪人にだけはならない道を歩もうと思っていた。でも、限界だった。

正しく生きようとする人間が、必ずしも幸せになれるわけじゃない。悪人に、必ずしも天罰が下るわけじゃない。だったら私は、なんのために理性の手綱を握りしめているのだろう。

手綱を握る掌には、もう力が入りそうになかった。何より、Sは自分のことを「悪人」とは認識していなかった。むしろ、おそらく「善人」であると認識していただろう。本当の悪人は、悪人の顔をしていない。