踏みとどまらせてくれた物語の一節

物語を読む時、1周目、2周目、3周目と、読み返すごとに味わいが変わることは、読書を好む人にとって珍しい話ではないだろう。印象に残る一節も、読み返すごとに微妙に変化する。

Sと会う前日の夜、私は改めて『冷めない紅茶』を読み返していた。覚悟を決めるために、頁を開いたはずだった。しかし、そんな私の目に飛び込んできたのは、この一節だった。

“一緒にいる楽しさよりも、いないつらさでその人の大切さが胸にしみる時、わたしはその人を特別に愛することができる。”

即座に脳裏に浮かんだのは、幼馴染の顔だった。中学生の時、自死を止めてくれた。以来、長年寄り添ってくれた。その後、問題の重さと私の未熟さに耐えかね、絶縁宣言をした彼の顔は、いつもどこか寂しげだった。

彼が隣にいない。もう会えない。一時はその寂しさが、憎しみにすり替わったこともあった。でも、どうしたって彼は私にとって、「大切な人」だった。大切で、大好きで、愛していた。

明日、私がやろうとしていることを知ったら、彼はどうするだろう。怒るだろうか、止めるだろうか、それとも代わりにSを消そうとしてくれるだろうか。少なくとも、喜ばないことだけはたしかだった。彼は、悲しい時ほど薄く笑う。その顔を想像したら、理性の手綱を握る手に、少しだけ力が戻った。