記憶の蓋は突然開く

私の記憶は、ここで途切れている。目覚めたのは閉鎖病棟のベッドの上で、私にもSにも何も起こってはいなかった。当時はわからなかったが、今思えば、交代人格が事態を収めてくれたのだと思う。Sの連絡先は消去されており、退院後、二度と彼に会うことはなかった。

呆気ないほど簡単に、ライオンゴロシのとげは消えた。正確には、私の中に深刻な膿を残したまま、消えた。

Sとの間に起きた一連の記憶を私が取り戻したのは、およそ3年前である。解離性同一性障害を患っていることもあり、私の記憶はたびたび消滅と再現を繰り返す。ただし、一度思い出した記憶は、二度と消えることはない。

記憶の蓋は突然開く。そのたび、ライオンゴロシのとげのように、果ての見えない苦痛が繰り返される。「後遺症」の3文字に凝縮された痛みは、何万字綴ったとて、到底すべては伝えきれない。それでも、書いていきたい、と思う。

物語に救われ、必要なブレーキを与えられ、人外の者にならずに済んだ私の半生が、どこかの誰かにとって、ほんの少しでも何かの足がかりになればいい。何よりも自分自身のために、私は今日も刃ではなく、筆を握る。

※引用箇所は全て、小川洋子氏著作『完璧な病室』収録作品『冷めない紅茶』本文より引用しております。

※医療に関する専門的知識や資格を持ち合わせていない人物から、独自の精神療法を受ける行為は、大きな危険を伴います。素人が複雑性PTSDの治療を行うことは、現実的に不可能です。患者の心身に負担をかけるばかりか、最悪命を落とす結果にもつながります。
当時の私はその判断力がなかったため、抗う(逃げる)選択ができずに足を踏み入れてしまいましたが、決して真似しないでください。

◆家庭内での虐待などに関して、警視庁でも相談を受け付けています。
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