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父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

前回「性虐待の家を逃れたものの、孤独は私を蝕んだ。恩人に去られた寂しさは恨みに変わり、恨みは私を鬼に変えた」はこちら

不定期に起こる性行為中のパニック症状

父親からの性虐待、母親からの身体・心理的虐待を長年受けた結果、後遺症に苦しめられ、二度目の家出をしたのち、私は荒んだ生活を送っていた。そんな時に出会い系サイトで偶然出会った大学生から言葉をかけられた。

「俺、大学で心理学を学んでいるんだ。だから、俺なら君を治してあげられると思う」

男は、あどけない顔でそう言った。正確には、「君」の部分に私の実名を入れて、さもそれが実現可能であるかのようにきっぱりと言いきった。私の過去を知り、「救いたい」とか「守ってあげたい」とか言う人間は山程いたが、「治してあげられる」と言ったのは、この男がはじめてだった。

父親からの性虐待、母親からの身体・心理的虐待を長年受けた結果、後遺症に苦しめられ、二度目の家出をしたのち、私はわかりやすく荒んだ生活を送っていた。

寂しさを持て余し、そのくせ誰のことも信用しない私は、隣に誰かがいる時間さえ、心に穴が空いたままだった。ほのかに「好きだ」と思える人に巡り会えても、長続きはしなかった。その原因の一つは、私が「性行為中にパニックになる」ことだった。