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通常の家庭では、親が子どもに道徳観念や“人として“大切なことを教える。だが、中には歪んだ感情をぶつける相手に「我が子」を選ぶ親もいる。そういった場合、子どもは親に必要なあれこれを教わることができない。私の親も、まさにそれだった。
だが、そんな私に生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたものがある。それが、「本」という存在だった。
このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた私=碧月はるの原体験でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

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孤独と寂しさの狭間で揺れる心

二度目の家出をして、「独りで生きていこう」と決めた私は、他者との関わりを極力避けて過ごした。会社の飲み会にも参加せず、ランチに誘われても断る。そうしているうちに、徐々に誰からも誘われなくなった。

そもそも私には、交際費にかけるお金がほとんどなかった。同じ仕事をこなしていても、中卒の私と大卒者では月給が10万円近く違う。それが当たり前の時代で、私はその現実を諦めと共に受け入れていた。

そんな折、たまたま出かけた先である男性に出会った。平たくいえばただのナンパだったのだが、その人からは嫌な臭いがしなかった。

そして、私は誰かと深く関わる気はないくせに、毎日やたらと寂しかった。私たちは時々気まぐれに会うようになり、一緒にご飯を食べたり、映画を観たり、体を重ねたりした。寂しさを埋められるなら、誰でもよかった。それはどうやら相手も同じだったらしく、彼もまた、私にすべてを委ねることなく、必要な時だけ会いに来た。

ある日、帰り際に彼が本を置いていった。私は何の気なしにその一冊に手を伸ばした。