家康がコメでの貢納を課した理由
天海の思惑はそうであるとして、家康は天海に奨められたとしても、なぜ日光を指名したのか。ぼくは東国、つまり関東と東北への思いが家康にあったからだと思います。
少し視点を変えます。政治の基本とは何でしょうか。
為政者は人々に「サービス」を提供する。人々は「サービス」に応じて税を支払う。このギヴ・アンド・テイクの関係が、今も昔も、統治行為の根本だと思います。
江戸時代初めの社会に於いて、西国は経済的に進んでいて、税を銭で支払うことができた。でも、東国、なかんづく東北地方は貨幣経済の浸透が十分ではなく、農村には銭が不足していた。そのため、銭で税を納めることは難しかった。
もちろん、西国は銭で東国は現物、つまりコメで税を納めるというかたちも「あり」ではあった。でも、それでは、秀吉がようやく統一した日本が、本当の意味で「一つ」になることはできない。家康はそう考えた。そこであえて、西国にもコメでの貢納を課した。
銭とコメの問題は、カード決済と現金決済にたとえることができるかもしれません。納税に銭を用いることがカード決済で、コメは現金決済。
経済原理でいうと、カード決済・銭での上納の方が便利で進んでいる。でもあえて遅れている方に合わせることにより、日本列島の一体感を現出する…。
それが家康の考えだったと思うのです。