なぜ家康は遺言で「日光」を指名したのかーー(写真提供:Photo AC)

松本潤さん演じる徳川家康がいかにして天下統一を成し遂げたのか、古沢良太さんの脚本で描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。最終回は「神の君へ」。家康は豊臣との決戦に踏み切り、乱世を終える覚悟で自ら前線に立った。徳川優勢の中、千姫(原菜乃華さん)は茶々(北川景子さん)と豊臣秀頼(作間龍斗さん)の助命を訴えるが――といった話が展開しました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。今回は「日光を選んだ理由」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

家康の遺言

1年にわたって放送された『どうする家康』もついに最終回を迎えました。

ドラマ内で「天下人となり、戦の無い国をつくる」という瀬名姫との誓いを果たした家康はいよいよその役目を終え、幸せだった時を回想しながら、臨終を迎えたようです。

家康は元和2年(1616年)4月17日に亡くなったわけですが、その時に彼の枕頭に侍っていたのは、金地院崇伝、南光坊天海という2人の僧侶、それに側近の本多正純だったことが崇伝の日記に明記されています。

家康は遺言を残しました。

それによると、彼が亡くなった後、遺骸は久能山に埋葬せよ、葬儀は江戸の増上寺で行え、位牌は三河の大樹寺に置け、また没後一年が経過したら、日光に小さな堂を設けよ、というのです。