それぞれの戦後が始まる
この頃、シヅ子は養父・音吉と二人暮らしをしていた。
養母・うめが病没してほどなく理髪店を閉めた音吉は、大阪で一人暮らしていたが、それでは不自由だろうと東京へ呼び寄せていたのである。
1945(昭和20)年5月15日、3月10日に続く東京大空襲で、シヅ子の三軒茶屋の自宅が全焼してしまう。
その日、シヅ子は京都花月で公演中だったが、何もかも失ってしまい、音吉は郷里である香川県引田に帰郷することに。
この時の空襲で、市ヶ谷にあった穎右の家も焼けてしまった。住む家がなくなった二人のために穎右の叔父で、吉本興業常務・東京支社長の林弘高のはからいで、シヅ子と穎右は、林家の隣家のフランス人宅に、年末まで仮住まいをした。
笠置シヅ子と吉本穎右が、一つ屋根の下で暮らしたのは、日本が戦争に敗れた8月15日を挟んだ数ヶ月間のみだった。
8月15日、シヅ子は富山県高岡市で敗戦を知った。そして再び自由に歌える日々が訪れた。進駐軍が銀座を闊歩し、ラジオからはジャズが再び流れ、灯火管制から解放された夜の街には、少しずつだが赤い灯、青い灯がともり始めた。
有楽町の日本劇場は、戦火が激しくなった44年に閉鎖されて、風船爆弾の工場となっていたが、11月22日、晴れて再開することとなった。
こうして 「スウィングの女王」笠置シヅ子は、日劇再開第1回公演「ハイライト」二十景(作・演出・宇津秀男)に出演。
軍属、報道班員として上海で音楽活動をしていた服部良一も12月、最後の引き揚げ船で帰国した。
こうして、それぞれの戦後が始まり、笠置シヅ子と服部良一は、再び音楽のパートナーとして共に舞台、そしてレコードを制作していくこととなる。
※本稿は、『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(興陽館)の一部を再編集したものです。
『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(著:佐藤利明/興陽館)
2023年NHK朝の連続テレビ小説、『ブギウギ』の主人公のモデル。
昭和の大スター、笠置シヅ子評伝の決定版!半生のストーリー。
「笠置シヅ子とその時代」とはなんだったのか。
歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて「ブギの女王」として一世を風靡していく。彼女の半生を、昭和のエンタテインメント史とともにたどる。