ひとときの逢瀬の幸福
しかし戦局は悪化の一途をたどり、7月にはサイパン陥落、米軍は日本本土への爆撃の拠点をサイパンに置いた。
この頃、穎右は結核にかかって、学徒動員も免除された。当時、結核は不治の病とされ、今にも本土上空に米軍の大編隊が飛来するかもしれない。その恐怖と不安の中、この年の暮れに、二人は結ばれる。
二人の関係を、シヅ子はこう語っている。
「『或る夜の出来事』のクラーク・ゲーブルとクローデット・コルベール、或いは鶴八、鶴次郎のように、最初のうちはお互いに好き勝手なことを言って、いがみ合っているうちに、その本態の噛み合いから掛け値なしの魅力がお互いにわかって、抜き差しならぬ関係となる──そんなプロットによく似てました。」(「歌う自画像 私のブギウギ傳記」48年・北斗出版)
結婚を誓った二人には、空襲の恐怖よりも、ひとときの逢瀬の幸福が勝ったのである。